消失のスノー・メモリー

 

作者 片摩 廣

 

 

登場人物

 

上原 沙妃(うえはら さき)・・・若年性アルツハイマーを発症して通院している

 

一色 直樹(いっしき なおき)・・・上原 沙妃の恋人

 

細川 康晴(ほそかわ やすはる)・・・担当医師 

                 過去に若年性アルツハイマーで、親友を亡くしている

 

 

 

比率:【2:1】

 

上演時間【60分】

 

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CAST

 

上原 沙妃:

 

一色 直樹:

 

細川 康晴:

 

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細川:(N)「記憶は永遠ではない・・・。

       一生、忘れたくないと思っていても、脳の衰えと共に、思い出したくても少しずつ忘れていく・・・。

       パソコンのメモリーのように保存が出来たら、何も心配する事はないだろう・・・。

       だが、そうではない・・・。人間は、忘れる生き物だ・・・。

       一般的に、物忘れなどは、誰にでも起こる事だが・・・、

       それがもし、病気によって突如起きたら・・・、その時、貴方は、どうしますか・・・?」

 

 

 

上原:(N)「私は・・・、好きになった人と結婚して、一緒に年を取ったり・・・、

       一軒家の縁側で・・・、季節の移り変わりを楽しんだり・・・、

       そういう細やかな幸せを・・・、望んでいただけだった・・・。

       それなのに・・・」

 

             

 

 

細川:「・・・それでは、上原さん、今日は西暦何年、何月何日ですか?」

 

 

上原:「今日は・・・、2022年・・・、12月・・・、12月・・・」

 

 

細川:「続けて・・・」

 

 

上原:「・・・すみません、分かりません・・・」

 

 

細川:「・・・それでは、次の質問です。貴方の干支は覚えてますか?」

 

 

上原:「干支は・・・、あっ・・・、干支・・・」

 

 

細川:「急がなくて大丈夫です。ゆっくり思い出して見てください」

 

 

上原:「・・・すみません。・・・思い出せないです・・・」

 

 

細川:「宜しい・・・。それでは最後に、貴方のお付き合いしている人の名前は?」

 

 

上原:「えっと・・・、一色 直樹・・・」

 

 

上原:(N)「例え・・・、他の事を忘れても、愛している人の名前は忘れたくない・・・。

       私は、その時、そう願った・・・」

 

 

 

 

 

一色:「・・・沙妃、お疲れ。診察はどうだった・・・?」

 

 

上原:「直樹・・・。どうしたのよ、お迎えの時間より早くて、驚いちゃった・・・」

 

 

一色:「お前の体調が心配で、少し早めに迎えに来たんだ・・・」

 

 

上原:「そう・・・」

 

 

一色:「顔色、悪くないか・・・?」

 

 

上原:「いつも通りだと思うけど・・・、少し疲れたかな~・・・」

 

 

一色:「病室で、休ませてもらうか?」

 

 

上原:「ううん・・・。そこまでは酷くない。2階の喫茶店で、待ってるね」

 

 

一色:「いつもの場所だよな?」

 

 

上原:「もう・・・、毎回、同じ質問なの、気付いてる?」

 

 

一色:「そうだったか・・・。癖になってるみたいで、気付かなかった」

 

 

上原:「それなら、許す。・・・ねぇ、細川先生、待ってるよ」

 

 

一色:「そうだな、行ってくる。沙妃、くれぐれも無茶は・・・」

 

 

上原:「わかってるって。早く行って」

 

 

一色:「おう・・・」

 

 

 

上原:(N)「・・・彼を見送った後、私はいつもの場所に向かう。

      気が滅入る通院の中で、唯一、心が休まる私の聖域だ。

      ・・・2階にあるお気に入りの喫茶店には、二通りの行き方がある。

      一つは、喫茶店の目の前にある階段を通る方法。

      もう一つは、遠回りになるけど、少し離れたエレベーターに乗る方法だ。

      私は迷わず、いつものエレベーターに向かう。

      2階に到着して、エレベーターから降りると、長い廊下を通り抜ける。

      此処も私のお気に入りの一つだ。廊下の窓はガラス張りになっていて、

      そこから見える中庭の風景が、とっても綺麗・・・だった・・・」

 

 

 

上原:「私ったら馬鹿ね・・・。今は冬じゃない・・・。色鮮やかな花も、春までお預けね・・・」

 

 

上原:(N)「ガッカリした気持ちを切り替えるように、私は足早に、お気に入りの喫茶店に向かう・・・」

 

 

 

 

 

 

細川:「以上が本日の診断結果です。・・・何かご質問は?」

 

 

一色:「彼女の病気は、予想以上に・・・、進行してるというわけですね・・・」

 

 

細川:「残念ですが、その考えで合っています」

 

 

一色:「・・・」

 

 

細川:「そう落ち込まないでください。本日の診断で、上原さんは、一色さんの名前を即答されました」

 

 

一色:「本当ですか・・・?」

 

 

細川:「本当ですよ。それだけ、一色さんの記憶は、彼女にとって大事な事なのでしょう」

 

 

一色:「そうだと嬉しいです・・・」

 

 

 

 

細川:「薬を服用する事で、病気の進行を抑える事も出来るので、

    これから先の不安もあると思いますが、根気よく治療していきましょう」

 

 

 

一色:「はい・・・」

 

 

 

細川:「いつも通り薬は、2週間分、処方してますので、また2週間後に」

 

 

 

一色:「ありがとうございます・・・」

 

 

 

 

 

 

上原(N):「窓際の席で、彼が来るまで、エスプレッソを飲んで待つのも、私の定番だ。

      最初の頃は、苦くて飲めなかったけど、通院を繰り返す度に、

      慣れたからだろうか、飲めるようになったのだ・・・」

 

 

 

上原:「いつも通りの味で落ち着く・・・。美味しい・・・」

 

 

 

上原(N):「その時・・・、ふと頭に過る・・・。

      このいつも通りの味が、美味しいと感じていられる時間は、

      後、どのくらい、私には残されているのだろう・・・。

      健常者が、日常で当たり前に感じられる、この感覚も・・・、

      この先、私は・・・、分からなくなる・・・。

      明確に、この日からですと分かるのならば、覚悟も出来ると思う・・・。

      だが、そうではない・・・。いつからか分からない恐怖だからこそ・・・、

      この病気は恐ろしいのだ・・・。私はこれから、どうしたら・・・」

 

 

 

一色:「沙妃・・・。なぁ、沙妃・・・。・・・おいっ、沙妃ってば・・・!」(いつからかくらいから、台詞を被せていく)

 

 

 

上原:「直樹・・・。いつの間に来てたの・・・」

 

 

 

一色:「随分と集中してたけど、どうかしたのか?」

 

 

上原:「ううん・・・。何でもない。

    そんな事より、今日は、いつもより来るの遅かったけど、何かあった?」

 

 

一色:「別にいつも通りだけど。・・・あっ、またエスプレッソ、飲んでたのか・・・。

    いつも同じメニューで、よく飽きないな・・・」

 

 

上原:「直樹が美味しいから、飲んでみろって、私に勧めたんじゃない・・・!

    そのお陰で、今では飲めるようになったのよ・・・」

 

 

一色:「・・・そうだったか? じゃあ、お詫びに、今度、エスプレッソより美味しい飲み物、教えてやるよ。

    だから、機嫌直してくれ・・・」

 

 

上原:「う~ん、それなら許す・・・。ねぇ、会計は済んだの?」

 

 

一色:「あぁ、済ませたよ。後は、いつも通り、下の薬局で薬、取ってくるだけ」

 

 

上原:「いつも通り・・・」

 

 

一色:「どうかしたか?」

 

 

上原:「ううん・・・。じゃあ私も、いつも通り車の中で待ってる」

 

 

一色:「わかった。じゃあ、行くか」

 

 

上原:「うん・・・」

 

 

上原(N):「大好きな彼から、何気なく出た、いつも通りという言葉が、

      今日の私には・・・、重く伸し掛かった・・・。

      薬局に着いてからも、私はその事ばかりがループしていた・・・」

 

 

(車の開閉音)

 

 

一色:「うわぁ~、寒くなってきた~・・・。待たせたな・・・。

    待ってる間、大丈夫だったか・・・?」

 

 

上原:「え? どうして・・・?」

 

 

一色:「窓の外、見てみろよ」

 

 

上原:「あっ・・・、雪・・・。いつの間に、降り出したの・・・?」

 

 

一色:「少し前だよ・・・。今年のクリスマスは、ホワイトクリスマスになったりしてな」

 

 

上原:「そうだと嬉しいな・・・。私、雪って大好きなんだ・・・」

 

 

一色:「・・・あ、それなら、積るくらい降ったら、雪だるまでも作るか?」

 

 

上原:「良いね! 後、雪合戦とかもしたい」

 

 

一色:「え~、雪合戦は、流石に寂しくないか・・・。

    友達、呼ぶにしても、誰、呼ぶのかも考えなきゃ・・・」

 

 

上原:「私と直樹だけでも、絶対、楽しいよ」

 

 

一色:「俺と二人っきり・・・?」

 

 

上原:「うん・・・。二人っきり・・・」

 

 

一色:「まぁ~、沙妃が言うなら、間違いないか!」

 

 

上原:「もう、直樹ってばそればかり! ふふふ!」

 

 

一色:「うううう・・・。雪遊びの事、考えてたら、本格的に冷えてきた・・・。早く家に帰ろう・・・」

 

 

上原:「うん」

 

 

上原(N):「私は、そう彼に応えると、家路へと向かう車窓から、降り続く雪景色を、暫し見つめていた・・・」

 

 

 

 

 

細川:「あれは、上原さん・・・」

 

 

上原:「・・・(溜息)」

 

 

細川:「こんな所で、会うなんて奇遇ですね」

 

 

上原:「あっ・・・、細川先生・・・。先生こそ、どうして此処に?」

 

 

細川:「健康の為に、日課のマラソンです。上原さんこそ、溜息なんてついて、どうかされたのですか?」

 

 

上原:「・・・これから先の事、考えてました・・・」

 

 

細川:「そうですか・・・。ですが、今日は冷え込んでるので、長時間は体に・・・」

 

 

上原:「・・・細川先生は、どうして脳神経外科の先生に?」

 

 

細川:「・・・」

 

 

上原:「あっ・・・私ったら言いにくい事を、訊いてしまって・・・。言えないなら別に・・・」

 

 

細川:「私がこの職業に就いたのは・・・、大事な親友を亡くしたからです・・・。

    上原さんと同じ、若年性アルツハイマーでした・・・」

 

 

上原:「その親友は・・・?」

 

 

 

細川:「施設で、亡くなりました・・・。この職業は、元は彼の将来の夢でした。

    医者になる為に、一生懸命で、努力も惜しまなかった・・・。

    病気を知った時の、彼の表情は・・・、今でも忘れられません・・・。

    次第に自暴自棄になって・・・、私や周りに対しても、距離を置くようになり・・・。

    そして、彼は施設に入りました・・・」

 

 

 

上原:「そうだったんですね・・・」

 

 

細川:「親友の為に、あの時、何か出来たのではと・・・、後悔で眠れない日々もあります・・・。

    ・・・距離を置かれても、諦めずに・・・」

 

 

上原:「・・・何か出来るとしたら、それは、これから試してみてはどうですか?」

 

 

細川:「え・・・?」

 

 

上原:「後悔ばかりしていては、細川先生も前に進めないです。

    親友にしてあげたかった事、私に教えてください」

 

 

細川:「・・・」

 

 

上原:「駄目ですか・・・?」

 

 

細川:「・・・ノート」

 

 

上原:「え?」

 

 

細川:「・・・ノートに、忘れたくない事を記入してください。

    ・・・頭の中から、記憶は失われ続けても、ノートに書いた言葉、思い出は残ります」

 

 

上原:「ノートに思い出を残す・・・。良いアイディアですね。

    細川先生・・・、私、やってみます!」

 

 

細川:「上原さん・・・」

 

 

上原:「・・・このまま何もかも、忘れてしまう恐怖で一杯でしたけど、

    先生のおかげで、残りの時間で、出来る事が見つかりました!

    ありがとうございます・・・!」

 

 

細川:「上原さん・・・、貴女・・・」

 

 

上原:「・・・若年性アルツハイマーは、発症してから・・・、約3年で死に至る病気・・・。

    現在の医療では、完治することは不可能・・・。

    先生に、診断を受けてから、私なりに調べました・・・。

    ・・・3年って、あっという間ですよね・・・」

 

 

細川:「・・・」

 

 

上原:「湿っぽい気分にさせて、ごめんなさい・・・。そろそろ家に帰ります。

    細川先生・・・。私・・・、最後の最後まで・・・、足掻いて、足掻き続けて・・・、生きます・・・」

 

 

細川:「上原さん・・・」

 

 

上原:「ノート、教えてくれて、ありがとうございました。それでは!」(笑顔で挨拶)

 

 

 

 

上原(N):「翌日、私は早速、細川先生に教えてもらったノートを書き始める。

      ・・・2階の喫茶店。・・・病院の廊下から見える色彩豊かな花達。

      ・・・エスプレッソ。・・・家族の名前・・・。

      そして・・・、直樹・・・。

      私は、残したい大事な物を・・・、無我夢中に書き続けた・・・。

      ・・・例え、此処に書いた大事な物を・・・、全て忘れたとしても・・・、

      このノートを読んでくれた誰かが・・・、私の存在を・・・、忘れないで居てくれる・・・。

      ・・・そう、信じて・・・、私は、大事な物を書き続けた・・・」

 

 

 

 

 

 

一色:「沙妃・・・。此処に置いてあったペン知らない・・・?」

 

 

上原:「・・・」

 

 

一色:「聞いてるのか? 沙妃? 俺のペン・・・」

 

 

上原:「私の大事なピアス・・・。何処に行ったの・・・?」

 

 

一色:「え?」

 

 

上原:「此処に確かに置いておいたの・・・!? でも、今見たら、置いてなくて・・・!?

    もう今日は・・・、あのピアスじゃないと・・・、駄目なの!?

    直樹・・・、知らない・・・?」

 

 

一色:「俺が見た時は、ピアスなんて置いてなかっ・・・」

 

 

上原:「嘘よ!!! それじゃあ、ピアスが勝手に何処かに移動したって言うの!?

    もう時間がないのに・・・!? ・・・一体、何処にあるのよ・・・!?」

 

 

一色:「落ち着け! 見つからないなら、他のピアスで・・・」

 

 

上原:「馬鹿言わないで!!! そうだ・・・! 寝室のキャビネット・・・!」

 

 

一色:「沙妃・・・!」

 

 

上原:「・・・。・・・これじゃない・・・!? これも・・・違う!!!

    この箱は・・・!? もう・・・、これも違ううううう!!!!

    こっちの棚は・・・、う~、此処にも入ってない・・・!!!

    もう!!! 嫌ああああああああ!!!!!」(戸棚の引き出しを放り投げる)

 

 

一色:「何してるんだ!? 沙妃!!!?」

 

 

上原:「・・・あのピアスじゃなと・・・、駄目なの・・・!? なのに・・、見つからない・・・!!!

    何処に置いたか・・・、思い出せない・・・!!!!

    ・・・直樹が初めてプレゼントしてくれたピアスなのに・・・。どうして・・・」

 

 

一色:「しっかりするんだ・・・沙妃! ピアスなら・・・、また買ってやる・・・!

    ・・・だから・・・、もう・・・、こんな無茶はよしてくれ・・・」

 

 

上原:「直樹・・・。私・・・怖いの・・・!

    私の中に、知らない私が・・・、どんどん上書きされていくみたい・・・!

    ・・・直樹が・・・、愛してくれた私が・・・消えて無くなっちゃう・・・!

    怖いよ・・・。直樹・・・!」(直樹に抱き着き涙を流しながら)

 

 

一色:「大丈夫だから・・・。俺が側に居る・・・。だから、落ち着いてくれ・・・」

 

 

上原:「・・・」

 

 

一色:「・・・落ち着いたか? 沙妃・・・?」

 

 

上原:「直樹・・・、どうして、私に抱き着いてるの・・・?」

 

 

一色:「え・・・?」

 

 

上原:「それに寝室が、こんなに散らかってる・・・! 

    戸棚の中に閉まってあった物まで・・・、床に散乱してるし・・・。

    もしかして、地震でも起こったの・・・!?」

 

 

一色:「覚えてないのか・・・?」

 

 

上原:「・・・何を? 地震があった事・・・?」

 

 

一色:「沙妃・・・」

 

 

上原:「・・・そうだ、出かける用意してたんだ・・・。早く家から出なくちゃ・・・」

 

 

一色:「・・・沙妃。待ってくれ・・・! 俺も、一緒に行く・・・!!!」

 

 

上原:「わかった。早く用意してね・・・」

 

 

一色:「・・・もしもし、すみません。タクシーを大至急・・・。場所は・・・」

 

 

 

 

(タクシーで病院に向かう一色)

 

 

 

細川:「今年は、去年と違って、積もりそうですね・・・」

 

 

上原:「え・・・? 何がですか・・・?」

 

 

細川:「雪ですよ。・・・もうすぐクリスマスです。

    クリスマスは、一色さんと過ごされるのですか?」

 

 

上原:「一色・・・。すみません、誰の事でしょうか?」

 

 

細川:「・・・直樹さんの事ですよ。・・・一色 直樹さん・・・」

 

 

上原:「直樹・・・、あっ、私の彼の名前ですね・・・」

 

 

細川:「今日は、2週間前より、調子が悪そうですね・・・」

 

 

上原:「すみません・・・。今朝から、頭痛が酷くて・・・」

 

 

細川:「そうですか・・・。それでは、いつもの薬と一緒に、頭痛薬も処方して置きます」

 

 

上原:「ありがとうございます・・・」

 

 

細川:「それでは、次の質問です。今朝は何時に起きられましたか?」

 

 

上原:「今朝は・・・、確か・・・、7時に起きました・・・」

 

 

細川:「今日は、この病院には、どの交通機関を使って、来られましたか・・・?」

 

 

上原:「交通機関・・・。確か・・・、市営バスに乗って・・・」

 

 

細川:「それは、本当ですか?」

 

 

上原:「確かそうです。駅から市営バスに乗って・・・、それから・・・」

 

 

細川:「上原さん・・・。もう一度、質問します。

    今日は、どのように、この病院には来られましたか?」

 

 

上原:「ですから・・・、駅から市営バスに乗って・・・、あっ・・・そうじゃなかった・・・」

 

 

細川:「続けて」

 

 

上原:「私の家から彼の車で・・・。ううん・・・違う。今日は・・・、彼の家から・・・、タクシーで病院に・・・」

 

 

細川:「宜しい・・・」

 

 

上原:「先生・・・、私・・・」

 

 

細川:「どうかされましたか?」

 

 

上原:「あっ・・・、何でもないです・・・」

 

 

細川:「少しでも、疑問に思った事、不安に思った事は、隠さず話してみて下さい」

 

 

上原:「・・・最近、物忘れが激しくなった気がするんです・・・」

 

 

細川:「続けて」

 

 

上原:「馴染みのお店に、買い物に行くはずが、気付くと、知らないお店に入って買い物してました・・・」

 

 

細川:「それは、いつの事ですか?」

 

 

上原:「確か・・・、3日・・・か、5日前・・・の事だったと、思います・・・」

 

 

細川:「そうですか・・・。他に変わった事はありますか?」

 

 

上原:「他は、多分ありません・・・」

 

 

細川:「わかりました。それでは、今日の診断は此処までにしましょう」

 

 

上原:「ありがとうございました・・・」

 

 

 

 

上原:「・・・診察、終わったから・・・、喫茶店に行かなきゃ・・・。

    あれ・・・? どうして、私・・・、喫茶店に行くんだっけ・・・?」

 

 

一色:「・・・沙妃、どうした? 大丈夫か・・・?」

 

 

上原:「え・・・? ・・・貴方・・・、誰ですか・・・?」

 

 

一色:「沙妃・・・、俺だよ・・・! 直樹だよ・・・!」

 

 

上原:「嫌・・・!? 誰だか知らないけど・・・、近寄らないで・・・!

    それ以上・・・こっちに来たら、叫びますよ・・・!!!」

 

 

一色:「止めてくれ。他の患者の迷惑になるだろう・・・!」

 

 

上原:「嫌・・・! この手を放して、誰か来てください・・・! きゃあああああああああああ!!!!

    誰か助けてええええええええええ!!!!!」

 

 

一色:「沙妃・・・!!! おいっ!!! しっかりしろ!!!」

 

 

細川:「上原さん・・・! 落ち着いてください・・・! 私です・・・! 私が誰か、分かりますか?」

 

 

上原:「細川先生!!! ・・・私、怖かったんです・・・!!! 知らない人に、いきなり声かけられて・・・!!!」(怯えながら)

 

 

細川:「上原さん・・・! 大丈夫ですよ・・・。一度、大きく深呼吸してください」

 

 

上原:「(深呼吸)×3回」

 

 

細川:「・・・どうですか? 落ち着きましたか?」

 

 

上原:「・・・はい・・・」

 

 

細川:「宜しい。それでは、上原さん、よく私の言うことを聞いてください。

    そこに居る人は、貴方の彼、一色 直樹さんですよ」

 

 

上原:「一色 直樹・・・」

 

 

細川:「そうです。何か思い出しましたか?」

 

 

上原:「・・・ああああ、私・・・!!!! どうして・・・!!!」 (診察室に向かう間、動揺して混乱している)

 

 

細川:「上原さん、落ち着いてください! 此処ではなく・・・、診察室に戻りましょう。

    さぁ、こっちです・・・」

 

 

 

一色:「細川先生・・・」

 

 

 

細川:「上原さんは、だいぶ混乱してるので・・・、ベッドに少し休ませます・・・。

    ですので、お話は、いつもの診察室ではなく、奥の診察室Cに、お越しください」

 

 

 

一色:「わかりました・・・」

 

 

 

上原(N):「細川先生に、支えてもらいながら、診察室に向かう間も・・・、

      私の脳内は・・・、彼に対する罪悪感とこの先の事で一杯になっていた・・・。

      ・・・私はこの先・・・、私の知らない私になる・・・。

      そうなったとしたら、彼に対する愛情も・・・、それ以外の事も・・・、

      全部、忘れてしまう・・・。そんな私でも・・・、彼は・・・、愛してくれるのだろうか・・・」

 

 

 

 

細川:「お待たせしました」

 

 

一色:「細川先生・・・、沙妃は・・・?」

 

 

細川:「泣きつかれたのか、ベッドで大人しく休んでいます」

 

 

一色:「そうですか・・・」

 

 

細川:「・・・その手に持ってるノート・・・。もしかして?」

 

 

一色:「このノート、何かご存じなんですね・・・」

 

 

細川:「ええ・・・。私の予想が正しければ・・・、そのノートは・・・」

 

 

一色:「沙妃のノートです・・・。沙妃の持ってたバッグから、飛び出してました・・・」

 

 

細川:「中身は、読んだのですか・・・?」

 

 

一色:「・・・ええ。・・・エスプレッソ。・・・雪だるま・・・。・・・雪合戦・・・。

    ・・・沙妃の家族の名前・・・。・・・そして、俺の名前・・・。

    沢山、書かれていました・・・。このノートは・・・?」

 

 

細川:「沙妃さんの、忘れたくない大事な物が書かれたノートです。

    私が、書くように教えました・・・」

 

 

一色:「そうですか・・・。・・・細川先生・・・、書かれている部分の、

    最後のページ、開いてみて下さい・・・」(細川にノートを渡す)

 

 

細川:「わかりました。・・・これは・・・」

 

 

一色:「今朝・・・、沙妃は、俺が付き合い始めて、初めてプレゼントした、クリスマスプレゼントのピアス、

    何処に置いたか分からなくなりました・・・」

 

 

細川:「続けて」

 

 

一色:「次第に、沙妃は怒って、寝室に向かい、キャビネットにある物を床に散乱させたり・・・」

 

 

細川:「大変でしたね・・・」

 

 

一色:「そうかと思えば・・・、思えば・・・。・・・くそっ・・・!」

 

 

細川:「・・・暴れた記憶も残ってなかったのですか?」

 

 

一色:「はい・・・」

 

 

細川:「そうですか・・・。・・・この最後のページ、涙で滲んでますね・・・」

 

 

一色:「・・・沙妃は、泣きながら、書いたんだと思います・・・。

    泣きながら・・・、俺の名前を何度も・・・、何度も・・・!」

 

 

細川:「・・・一色さんの名前で、溢れかえってますね・・・」

 

 

一色:「・・・」

 

 

細川:「今年のクリスマスイブは、雪のようですね・・・」

 

 

一色:「雪、積もりますかね?」

 

 

細川:「さぁ、どうでしょう・・・」

 

 

一色:「・・・沙妃と、一緒に雪だるま、作ろうって約束したんです・・・」

 

 

細川:「そうですか・・・」

 

 

一色:「雪合戦も・・・、二人っきりでも楽しいから、やりたいって・・・」

 

 

細川:「楽しそうですね・・・」

 

 

一色:「細川先生・・・。俺・・・、俺・・・」

 

 

細川:「辛いでしょうけど・・・、ちゃんと自分で決断しなければいけませんよ。

    それが、一色さん。貴方自身の為でもあります」

 

 

一色:「はい・・・」

 

 

細川:「いずれ消える記憶だとしても・・・、何もしないで、待つよりは、楽しいはずです。

    残された時間が、短いからこそ・・・、人は、一生懸命に自分の生きた証を残すのです。

    どうか・・・、悔いの残らないように、過ごしてくださいね」

 

 

一色:「ありがとうございます・・・、先生・・・」

 

 

 

 

 

上原:「・・・あっ・・・、直樹・・・」

 

 

一色:「少しは、気分、よくなったか?」

 

 

上原:「うん・・・、休ませてもらったから、大丈夫・・・」

 

 

一色:「それなら、家まで送るよ」

 

 

上原:「帰る前に・・・、喫茶店に寄りたいな・・・」

 

 

一色:「え? ・・・喫茶店・・・?」

 

 

上原:「あっ・・・ごめん・・・。そうよね・・・、流石に、今日は、家に帰らないと駄目だよね・・・」

 

 

一色:「そうそう・・・、気分よくなっても、今日は大人しく、俺の言うことを・・・」

 

 

上原:「わかった、ちゃんと従う。・・・心配かけて、ごめんね・・・」

 

 

一色:「良いんだ。・・・なぁ、沙妃・・・」

 

 

上原:「どうかした?」

 

 

一色:「クリスマスは、雪が降るみたいだから、雪だるまも、雪合戦もしような・・・!」

 

 

上原:「本当に?」

 

 

一色:「あぁ・・・!」

 

 

上原:「楽しみだな~。絶対に、約束だからね・・・!」

 

 

一色:「あぁ・・・、約束だ・・・」

 

 

 

 

上原(N):「彼からの嬉しい提案から、更に日にちは過ぎて・・・。

      クリスマスイブの当日・・・。

      今日は、心なしかいつもより、調子が良い。

      彼からの連絡が来て、私は待ち合わせの公園に向かった・・・」

 

 

一色:「よっ・・・」

 

 

上原:「ごめん、待った・・・?」

 

 

一色:「ううん、俺も今、来たとこ。それにしても、予想以上に、積もったな~・・・」

 

 

上原:「うわぁ~、綺麗・・・。・・・これなら、雪だるまも、雪合戦も出来るね・・・!」

 

 

一色:「あぁ・・・、そう・・・だな・・・!!!」(雪玉を投げる)

 

 

上原:「ちょっと!? いきなりは反則だって!」

 

 

一色:「俺の小さい頃には、そんなルールは無かったよ!」

 

 

上原:「あっそ。そっちがその気なら、私だって・・・。こう! なんだから・・・!!!」

 

 

一色:「うわっぷっ! ペペっ・・・! 口の中に雪、入った・・・!」

 

 

上原:「油断してるからよ! さぁ、どんどん、投げるわよ!!!」

 

 

一色:「次は、当たらないからな!」

 

 

上原:「さぁ、それは、どうか・・・しらね・・・!!!」(投げる)

 

 

上原(N):「私達は、まるで子供時代に戻ったかのように、夢中になって雪玉を投げた。

      一生懸命、逃げ回る彼を見ながら、私は心の底から笑った・・・」

 

 

一色:「もう・・・、ギブ・・・!!! 俺の負けだよ~・・・!!!」

 

 

上原:「え~、もう少し、投げたかったのに~」

 

 

一色:「もう勘弁してくれ~・・・」

 

 

上原:「仕方ない・・・。じゃあ次は、雪だるま作ろう」

 

 

一色:「オッケー。あっ、でも雪以外の材料が・・・」

 

 

上原:「それなら大丈夫。はいっ、これ」

 

 

一色:「おっ、用意良いな」

 

 

上原:「直樹は胴体の部分の雪、お願いね。私は頭の分、集める」

 

 

一色:「胴体か・・・。それなら、これくらい必要かな。そ~れ~・・・!!!」

 

 

上原:「張り切って、滑らないようにね!」

 

 

一色:「わかってるよ!」

 

 

 

 

上原:「・・・よし、頭の分は、これくらいで、よしっ」

 

 

一色:「はぁ~! はぁ~! はぁ~! 胴体の分も、これで良いか・・・?」

 

 

上原:「もう・・・、幾ら何でも集めすぎ・・・。それじゃあ、バランス悪いでしょう・・・」

 

 

一色:「折角、集めたのに・・・」

 

 

上原:「よしっ、こんなものかな~。後は、枝刺して・・・、バケツを頭に被せて・・・、

    目と鼻と口を・・・、付けて~・・・」

 

 

一色:「刺した枝に・・・、手袋を付けて。よしっ、完成・・・!!!」

 

 

上原:「・・・少し不格好だけど、それも味があって良し!」

 

 

一色:「大人になってから作っても、疲れるものだな・・・」

 

 

上原:「直樹・・・、それは雪、集め過ぎたからよ・・・」

 

 

一色:「それもそうか・・・」

 

 

 

 

上原:「ねぇ・・・直樹・・・」

 

 

一色:「ん・・・?」

 

 

上原:「来年のクリスマスも・・・、今日と同じように、二人で雪だるま、作りたいな・・・」

 

 

一色:「あぁ・・・」

 

 

上原:「それで、クリスマスケーキとかも、手作りで作って・・・」

 

 

一色:「・・・」

 

 

上原:「一緒に、笑いながら食べようね・・・!」

 

 

一色:「あぁ、そうしよう・・・」

 

 

上原:「この前は、ごめんね・・・。直樹に貰ったピアス・・・。私の家にあった・・・。

    ・・・私・・・、怖いの・・・。・・・直樹との思い出が、どんどん消えていくのが・・・。

    ・・・だからお願い・・・。残りの時間で、新しい思い出、沢山作って・・・」

 

 

一色:「悪い・・・。もう、限界だよ・・・」

 

 

上原:「直樹・・・、ごめん、流石に寒くなってきたよね・・・!? 早く家に戻ろう・・・」

 

 

一色:「そうじゃない・・・。俺、もう沙妃と一緒に居たくないんだ・・・」

 

 

上原:「どうして・・・?」

 

 

一色:「どうしてだって? 自分の胸に、手をあてて、よく考えてみろ・・・。

    この前の診察後だって、俺、他の患者の前で、どれだけ恥をかいたと思ってるんだ・・・」

 

 

上原:「嘘よ・・・! あんなに私の事・・・、心配してたじゃない・・・」

 

 

一色:「あそこで、本当の事、言ったら、もっとお前は泣き叫ぶだろう・・・。だからだよ・・・!

    それと悪いけど、もう一つ理由がある・・・」

 

 

上原:「え・・・!?」

 

 

一色:「言ってなかったけど・・・、俺・・・、他に付き合ってる人も居るんだ・・・」

 

 

上原:「嘘・・・」

 

 

一色:「嘘じゃなくて事実だ。沙妃の事も、好きだけど・・・、

    まさか・・・、若年性アルツハイマーになるとは、全くの予想外だったよ・・・!

    悪いけど・・・、俺、これ以上、重い展開は嫌なんだ・・・。

    ・・・この前のピアスで、これから先に対しても、不安だけが残ったよ・・・」

 

 

上原:「だって、俺が側にいるって・・・、言ったじゃない・・・!」

 

 

一色:「・・・あの時は、ああ言うしかなかったんだ・・・」

 

 

上原:「それじゃあ、全部、芝居だったの・・・!?」

 

 

一色:「俺なりの優しさだ・・・。・・・今日の最後の日も、綺麗な思い出で終わらす予定だったのに・・・。

    沙妃・・・、お前の重い願いの連続で・・・、これ以上、耐えられなくなった・・・。悪いけど、これで終わりだ・・・」

 

 

 

上原:「酷いよ・・・。それなら、もっと早くに振ってくれたら良かったじゃない・・・!

    どうして・・・、クリスマスイブ・・・、選んだのよ・・・!!!」

 

 

一色:「せめて・・・、良い思い出は、残してやりたかったんだよ。

    一時の記憶で、全て忘れるだろうがな・・・。そんじゃあな・・・」

 

 

上原:「待って・・・! 行かないで・・・! 直樹・・・! 直樹・・・!!!」

 

 

一色:「沙妃・・・、放してくれ・・・」

 

 

上原:「一人になるのが怖いの・・・。お願いだから・・・、私を一人にしないで・・・!

    お願いだから・・・、最後まで側に居てよ・・・!」(すがりつく)

 

 

一色:「・・・良いから、放してくれ・・・」

 

 

上原:「嫌・・・! 絶対に嫌よ・・・!」

 

 

一色:「沙妃・・・」

 

 

上原:「私、これからどうしたら良いの・・・。お願い・・・、私を一人にしないで・・・」

 

 

一色:「もう・・・、良い加減にしてくれ・・・!!!」(突き放す)

 

 

上原:「きゃあああああ・・・!」

 

 

一色:「じゃあな・・・。沙妃・・・」

 

 

上原:「嫌・・・、嫌よ・・・。お願いだから、幸せなクリスマスイブを返してよ~・・・!!!(泣き叫ぶ)

    お願い・・・、戻ってきて・・・、直樹・・・」(倒れる)

 

 

細川:「上原さん・・・! しっかりしてください!!! 上原さん・・・!!!」

 

 

上原:「細川先生・・・。直樹が・・・。・・・直樹・・・」(気を失う)

 

 

細川:「上原さん・・・! 上原さん・・・!!!」

 

 

 

 

上原(N):「私は、絶望感に襲われた・・・。

      人生、最後の恋だったのに・・・、こんな結末が待ってるなんて・・・。

      神様・・・、私は・・・、前世で酷い事をしたのですか・・・?

      答えてください・・・。・・・どうして・・・」

 

 

 

長い間(10秒ほど)

 

 

 

細川:「・・・一色さん。そろそろ来る頃だと思いました・・・」

 

 

一色:「・・・沙妃は、あれからどうなりましたか・・・?」

 

 

細川:「私がちゃんと家まで、送りましたよ」

 

 

一色:「そうですか・・・」

 

 

細川:「一色さん、よく頑張りましたね・・・」

 

 

一色:「細川先生・・・。これで、本当に良かったんですよね?」

 

 

細川:「辛い決断だと思いますが・・・、これで良かったんですよ・・・」

 

 

一色:「沙妃・・・」

 

 

細川:「・・・」

 

 

一色:「きっと今頃、沙妃は絶望の底にいます・・・」

 

 

細川:「続けて」

 

 

一色:「優しい沙妃を・・・、傷付けたくなかった・・・。

    でも、ああでもしなければ、沙妃は、俺の事を諦めきれなかった・・・。

    出来るなら・・・、綺麗に、お別れしたかったです・・・」

 

 

細川:「綺麗にですか・・・。例え、今は絶望の中に居るとしても・・・、

    上原さんにとっても・・・、

    ・・・。

    そして・・・、一色さんにとっても、一時の絶望感になります・・・。

    これが、貴方方には、最善の方法だったと思いますよ・・・」

 

 

一色:「はい・・・」

 

 

 

 

細川:「・・・それでは、質問を始めます。・・・一色さん、昨夜は、何時に就寝されましたか?」

 

 

一色:「昨夜は・・・、午後11時に寝ました・・・」

 

 

細川:「次の質問です。一昨日の夕食は、何を食べましたか?」

 

 

一色:「一昨日は・・・、えっと・・・、確か・・・。・・・すみません、思い出せないです・・・」

 

 

細川:「結構ですよ」

 

 

 

 

一色(N):「細川先生に、いつも通り、質問をされてる間も・・・、沙妃の事が頭から離れなかった・・・。

      苦しい・・・。辛い・・・。

      沙妃より、進行は遅かったとはいえ・・・、俺の病気も・・・、着実に悪化して来ている・・・。

      先生に、若年性アルツハイマーだと診断された翌日から・・・、車の運転も止めた・・・。

      これから先・・・、今まで出来てた当たり前の事が、何もかも出来なくなる・・・。

      その前に・・・、俺にはまだ、やり残した事がある・・・」

 

 

 

細川:「本日の診察は此処までにしましょう。薬もいつものように、2週間、処方しておきます。

    次は2週間後に・・・」

 

 

一色:「細川先生・・・。折り入って、お願いがあります・・・」

 

 

細川:「何でしょう・・・?」

 

 

一色:「細川先生には、苦労をかける事になるのですが・・・」

 

 

細川:「それは、沙妃さんの為ですか?」

 

 

一色:「はい・・・」

 

 

細川:「宜しい・・・。御二人の幸せの為ならば、・・・私に出来る事ならば、力を尽くしましょう。

    それが私の・・・、せめてもの罪滅ぼしです・・・」

 

 

一色:「本当に・・・、ありがとうございます・・・」

 

 

一色(N):「細川先生に、会釈をした後・・・、2階の喫茶店に向かった・・・。

      そして、エスプレッソを頼んだ後・・・、あの窓側の席に向かう・・・。

      席に着き・・・、エスプレッソを一口、飲むと・・・、

      今の心境からなのか・・・、酷く苦い味が、口の中に広がった・・・。

      あぁ・・・、こんなに苦かったのに・・・、沙妃は・・・。

      あの時のやり取りが、蘇ってきた・・・」

 

 

 

 

一色:「・・・あっ、またエスプレッソ、飲んでたのか・・・。

    いつも同じメニューで、よく飽きないな・・・」

 

 

上原:「直樹が美味しいから、飲んでみろって、私に勧めたんじゃない・・・!

    そのお陰で、今では飲めるようになったのよ・・・」

 

 

 

 

 

 

一色:「沙妃・・・。こんな俺を・・・、許してくれ・・・!」

 

 

一色(N):「沙妃の事を思いながら・・・、残っていたエスプレッソを・・・、飲み干した・・・」

 

 

 

 

 

細川:(N)「上原さんと別れた直後から、一色さんの病状はみるみる悪化していった・・・。

       そんな一色さんにも、ノートを進めたのだが・・・、一色さんは受け取らなかった・・・。

       割り切っていたとはいえ・・・、上原さんの事を思い出すのが、辛かったのだろう・・・」

       一色さんが私に頼み事をしてから、更に数か月が経過した・・・。

 

 

 

細川:「それでは、今日の診察を始めますね。

    一色さん、昨夜の夕食は、何を食べましたか?」

 

 

一色:「・・・」

 

 

細川:「一色さん・・・、聞いていますか? ・・・一色さん・・・!」

 

 

一色:「・・・何ですか? 先生・・・」

 

 

細川:「昨夜の夕食、何を食べましたか?」

 

 

一色:「・・・昨夜ですか・・・。確か・・・・、あれです・・・。

    あれ・・・? あれって、何だ・・・。

    ・・・。

    あっ・・・、今日は良い天気ですね~・・・」

 

 

細川:「一色さん・・・」

 

 

一色:「先生・・・。今朝は何だか、良い夢を見たんです・・・」

 

 

細川:「どんな夢でしたか?」

 

 

一色:「雪だるま、作ってる夢でした・・・」

 

 

細川:「・・・そこには、一色さん以外に、誰か居たのですか?」

 

 

一色:「・・・わからないです。・・・でも、何だか楽しい夢でした~・・・」

 

 

細川:(N)「一色さんの表情を見た瞬間・・・、亡くなった親友を思い出した・・・。

       私の事さえ、認識が出来なくなった親友・・・。

       その姿を見るのが辛くて・・・、葬式の日まで、会いに行けなかった事を・・・、

       私は・・・、ずっと後悔していた・・・」

 

 

一色:「先生・・・、何か悲しい事でもあったんですか? 涙が・・・」

 

 

細川:「最後まで、会いに行かなくて、すまなかった・・・」

 

 

一色:「え・・・?」

 

 

細川:「怖かったんだ・・・。俺の事を・・・、誰ですか? と、尋ねるお前の姿は見たくなかった・・・。

    だから、最後の最後まで・・・、会いに行く事が出来なかった・・・!

    今更、謝っても・・・、お前に許して貰えるなんて思ってない・・・!

    でも、戻れるなら・・・、お前にもう一度会って、謝りたかった・・・。

    本当に・・・、すまない・・・」

 

 

一色:「先生・・・」

 

 

細川:「すまかった・・・。許してくれ・・・」

 

 

一色:「誰の事か分からないけど・・・、そこまで後悔してるなら・・・、

    気持ちは、その人に、届いてますよ・・・。

    だから、元気出してください・・・。先生・・・」

 

 

細川:「一色さん・・・。ありがとうございます・・・」

 

 

 

細川:(N)「一色さんの、その時の言葉に・・・、私は救われた・・・。

       そうだ、嘆いてばかりは居られない・・・。私に出来る事は、まだ残っている・・・。

       そう・・・、約束を果たさなければ・・・」

 

 

 

長い間

 

 

 

(遠くに聴こえる波音)

 

(海沿いにある施設に、尋ねる細川)

 

 

 

上原:「あっ・・・先生・・・。こんにちわ・・・」

 

 

細川:「お元気にしてましたか?」

 

 

上原:「・・・今日は、波も静かで・・・、心地良いからか、体調も良いです・・・」

 

 

細川:「それは良かったです。その帽子も似合ってますね。・・・この施設にも、慣れましたか?」

 

 

上原:「はい・・・。皆さん・・・、親切で暮らしやすいです・・・」

 

 

細川:「そうですか。今日は・・・、貴女にお手紙を持ってきました・・・」

 

 

上原:「私に・・・ですか・・・?」

 

 

細川:「代わりに、読ませて頂いても、宜しいですか?」

 

 

上原:「はい・・・」

 

 

 

細川:「沙妃へ。・・・この手紙を読んでいる頃には、もう俺の事は覚えていないかもしれない・・・。

    でも、どうしても君に、伝えなければ行けないことがある・・・。

    俺は・・・、隠していたが、君と同じ、若年性アルツハイマーだ・・・。

    本当は・・・、伝えようとも考えていた・・・。

    でも・・・、怖かった・・・。愛している沙妃の事、覚えていられなくなる事が・・・、

    耐えられなくて・・・、あのクリスマスイブの夜に・・・、君に嘘を付いて、別れを選んだ・・・。

    もっと綺麗な別れ方もあったかもしれない・・・。でも、あの時の俺にはあれが精一杯だった・・・。

    ・・・例え、嘘だとしても・・・、愛している君を傷つけた事には変わりない・・・。

    こんな愚かな俺を・・・、許してくれ・・・。

    例え、病気が進行して、君の事が分からなくなっても・・・、俺は・・・、ずっと最後まで、君の側に居る・・・。

    愛しているよ・・・。沙妃・・・」

 

 

 

細川:「手紙の内容は・・・以上です・・・」

 

 

上原:「・・・宛先は・・・、誰からですか・・・?」

 

 

細川:「・・・一色 直樹さんです」

 

 

上原:「・・・一色・・・、直樹・・・」

 

 

細川:「何か、思い出しましたか・・・?」

 

 

上原:「・・・すみません。・・・思い出せないです・・・」

 

 

細川:「そうですか・・・。今日は、貴女の言う通り良い天気だ。

    良ければ、庭を一緒に散歩しませんか?」

 

 

上原:「はい・・・」

 

 

 

 

細川:「・・・良い景色ですね・・・。此処からの海も綺麗だ・・・」

 

 

上原:「・・・ええ。・・・あっ、大事な帽子が・・・!」(風で帽子が飛ぶ)

 

 

細川:「・・・いきなり走ったら、危ないですよ・・・!」

 

 

上原:「はぁ、はぁ、はぁ・・・。・・・あっ・・・、すみません・・・」

 

 

一色:「今日は・・・、風が強いので・・・、気を付けてください・・・」

 

 

上原:「そうですね・・・。気を付けます・・・。ご親切に、どうも・・・」

 

 

一色:「いいえ・・・。良いんですよ・・・。見てください・・・。

    今日の海は・・・、いつも以上に・・・、何だか綺麗ですね・・・」

 

 

上原:「・・・言われてみたら、そうですね・・・。凄く・・・、綺麗・・・」

 

 

 

 

(遠くから、二人の様子を見ている細川)

 

 

 

細川:「一色さん・・・。貴方との約束、果たしましたよ・・・」

 

 

細川:「そうそう・・・。一色さん、私は貴方に嘘を付いていました・・・。

    貴方が・・・、私に望んだように・・・、

    実は、上原さんからも、同じように、手紙を預かっていたのです・・・。

    クリスマスイブの数日後・・・、上原さんは、私の元に訪ねてきました。

    彼女の必死の問いかけに・・・、私も根負けしまして・・・、

    貴方も同じ病気の事・・・、傷付けて別れる方法を選んだ事・・・、伝えました。

    暫く、彼女は泣き続けました・・・。泣くだけ泣いた後・・・、

    私に、こう頼んできたのです・・・」

 

 

上原:「・・・細川先生、お願いがあります・・・。私の願いを・・・、叶えてください・・・」

 

 

 

細川:「これも運命なのでしょうか・・・。二人のお願いが一致していたなんて・・・。

    残り僅かな時間なのは、決まっていますが・・・、どうか最後の時まで・・・、

    二人が、一緒に幸せな時間を過ごせますように、願っています・・・。

    それでは、上原さん、一色さん、お元気で・・・」

 

 

 

 

上原:「直樹へ。・・・同じ病気の事、先生から聞きました・・・。

    あの時、辛い決断をさせて、ごめんなさい・・・。

    でも、直樹の愛情が・・・、嘘じゃなくて、本当に良かった・・・。

    この手紙を、細川先生から渡される頃には・・・、貴方も、私も・・・、

    お互いの事、分からないかもしれない・・・。

    貴方への愛情も・・・、その時には、もう残ってないかもしれない・・・。

    それでも私は・・・、構わない・・・。

    直樹と一緒の施設で・・・、綺麗な海を・・・、一緒に眺める事が・・・、出来たのなら・・・」

 

 

 

上原(N):「例え、お互いの事が分からなくても・・・、側に居れば・・・」

 

 

一色(N):「きっと、俺達は・・・、それだけで・・・、幸せだから・・・」

 

 

 

 

 

終わり