昼下がりの夜想曲

    (ノクターン)

 

 

 

作者:ヒラマ コウ

 

 

 

登場人物

 

 

 

高崎 ノボル ・・・ 30歳 売れない画家の卵、何度もコンクールに応募するが落選してばかり。 

               ある日 冴島と出会い 自分の代わりに絵を描いてみないかと誘われる。

 

 

冴島 ゆい ・・・  35歳 有名な画家 気難しい性格で近寄りがたい雰囲気を普段は出している。

               自分がアルツハイマーだと知り、自分の代わりに

               絵を描いてくれる画家を探していた。

 

 

 

比率:【1:1】

 

上演時間 :【40分】

 

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高崎(N):「これで何度目の落選だろうか・・・。周りの同期に追い越されるたびに、

       俺の心の中には、暗く、冷たい感情が増えていく・・・。

       その感情は、時に人を傷つけたいとさえ思うようになり、

       自分の感情をコントロール出来なくなってるのが怖かった。

       消えたい・・・。どうして、素直に成功を喜べないのか・・・。

       そんな感情がループしてるのが嫌で、近所の美術館に足を運んだ。

       そこで彼女に出会ったのだ・・・」

 

 

 

 

 

冴島:「ねぇ、そこの貴方。絵は好き? 嫌い?」

 

 

高崎:「俺に聞いてるのですか?」

 

冴島:「貴方以外に誰がいると言うの? 良いから早く答えて」

 

高崎:「絵は・・・」

 

冴島:「どうしたの? 答えれないの?」

 

高崎:「・・・」

 

冴島:「もう良いわ・・・。もしかしたらと思ったけど、とんだ見込み違いだったようだわ」

 

高崎:「待ってください。絵ってなんなんですか・・・?」

 

冴島:「どういう意味かしら?」

 

高崎:「絵がなにかわからないんです。書いても書いても、答えは見つからない・・・。それどころか、苦しい時もあるし・・・」

 

冴島:「続けて」

 

 

高崎:「周りはどんどん評価されるのに、自分だけ置き去りにされてる感じがして、

    そう思うと、描いてても胸が苦しいんです・・・。まるで、鏡の前で醜い顔した自分を見るようで・・・」

 

 

冴島:「だから、さっきの質問に素直に答えれなかったのかしら?」

 

高崎:「・・・」

 

 

 

冴島:「どうやら図星だったようね。私もそんな時があったわ。描いてて、とてつもなく不安になるの。

    今描いてるこの絵は、何を見てくれる人に伝えるのかって。人によっては、

    この絵を見て不安な気持ちになるかもしれないし、逆に幸福な気持ちになるかもしれない。

    絵ってね、描いてみないとわからないものよ。

    その時の心情にも影響されるし、貴方の言った通り、私も自分の鏡だと思う」

 

 

 

高崎:「絵がお好きなんですね」

 

 

冴島:「勿論好きよ。今も昔もその部分は変わらない。だけど変わらないものなんてこの世界には無い事を思い知ったわ・・・。

    ねぇ、さっきの質問に戻るけど、絵は好き、嫌い?」

 

 

高崎:「・・・好きです。自分には絵を描くしか取り柄がないので・・・」

 

 

冴島:「ならこう言うのはどうかしら? 私の代わりに貴方が絵を描くの」

 

高崎:「どういう事ですか?」

 

冴島:「自己紹介が遅れたわね。私は、冴島 ゆいと言います。絵が好きなら名前くらい聞いた事がないかしら?」

 

高崎:「あの有名な冴島さんですか?」

 

冴島:「ええ、そうよ」

 

高崎:「どうしてこんな自分に声かけたのですか!? 俺からしたら、雲の上の存在ですよ・・・」

 

 

冴島:「しいて言うなら、この絵かな。この絵ね、私も好きなの。その大好きな絵を熱心に見つめてる貴方を見て、

    この人なら私の願いを叶えてくれるかもって思った。それが声かけた理由よ」

 

 

高崎:「さっきの提案ですが、本当に俺で良いのですか?」

 

冴島:「ええ。自分の直感を信じるわ」

 

高崎:「わかりました。よろしくお願いします」

 

 

冴島:「貴方に才能があるかどうかは今は問わない。でもこれだけは忘れないで。絵は貴方を裏切らない。

    信じていれば、必ず道は開けるわ」

 

 

高崎:「はい」

 

 

冴島:「それじゃあ、早速明日の朝から宜しくね。これが家の住所と携帯番号だから、もし道に迷ったら電話して。

    じゃあね」

 

 

 

 

高崎(N):「それが彼女との初めての出会いだった。テレビで観る彼女は、人を寄せ付けないオーラを感じたのだが、

       あの美術館で会った時にはそのオーラは感じなかった。それどころか、どこか儚さを感じた・・・。

       その理由を知るのはもっと先になってからだった・・・」

 

 

 

 

(翌日、冴島の家を訪ねる高崎)

 

 

 

 

冴島:「早かったわね。良いから遠慮せずにあがって。荷物はその棚に置いて頂戴。

    そうね、まずはお茶でもどうかしら?」

 

 

高崎:「いただきます」

 

 

 

冴島:「そこのソファーに適当に腰かけてちょうだい。実は今日ね、貴方が来るか正直不安だった・・・。

    だって、いきなりの提案だったじゃない?

    だけど、貴方はこうして来てくれた。嬉しいわ」

 

 

 

高崎:「昨日の提案について、詳しくお話聞かせてもらえますか? どうして、こんなにも有名な貴方が、

    俺を選んだのです。他にも有名な画家は沢山・・・」

 

 

 

冴島:「貴方の言う通り、初めはそれも考えたわ。だけど、決心はつかなかった。誰でも良いってわけじゃないのよ。

    本当に心から絵が好きな人じゃ無ければ嫌なの。真っ直ぐに絵に向き合える人じゃないと・・・。

    そんな時に、貴方と出会った。だから決めたのもあるわ。それとね・・・」

 

 

 

高崎:「他にも理由があるのですか?」

 

 

 

 

冴島:「これから話す理由のほうが重要なの。私はね・・・若年性アルツハイマーなの・・・。

    初めは些細なきっかけだった。日々生活してる中で、物忘れが酷くなったのを感じた。

    窓の閉め忘れ、車の施錠、電気の付けっぱなし、調味料の蓋の閉め忘れ・・・そんな事が続いてる内に、

    不安になり医者に診察に言ったわ。そしたら、いくつかのテストをされて、その診断結果が若年性アルツハイマーだった。

    医者に診断されてから、1ヵ月程経ったわ。初めはあまりのショックで何も考えられなかった・・・。

    だけど、それじゃ駄目と気付いたのよ。私は画家。生きてる間に、作品を残す使命がある」

 

 

 

 

高崎:「強い心を持っているのですね」

 

 

冴島:「強いかどうかはわからない。描かなきゃ行けないという意思が、今の私を突き動かしてるだけかもしれないわ。

    改めて問うわ。こんな私でも、力を貸してもらえるかしら?」

 

 

高崎:「・・・」

 

 

冴島:「返事が無いと言う事は駄目って事ね。無理はないわよね・・・。この病気は治療法も見つかっていないし、

    症状が悪化すれば、貴方に迷惑をかけるかもしれない。残念だけど他を・・・」

 

 

高崎:「どこまで力になれるか、わかりませんが、こんな俺でも良ければ、冴島さんの作品を生み出すお手伝いをさせてください」

 

 

冴島:「本当に良いの? それで後悔しない?」

 

高崎:「後悔はしません」

 

冴島:「わかったわ。じゃあ、早速始めるわよ。まずは、貴方の絵を見たいわ。そこのフルーツを描いてみて」

 

高崎:「わかりました」

 

冴島:「画材は此処に置いてあるものを自由に使って良いわ」

 

高崎:「ありがとうございます」

 

冴島:「じゃあ、始めて頂戴」

 

 

 

 

 

 

 

冴島:「良いわその調子。全体のバランスも良いし、後は繊細なタッチかしら。もっと鉛筆を持つ指に意識を集中して」

 

高崎:「こうですか?」

 

冴島:「ええ。その集中力をキープし続けて」

 

高崎:「はい・・・」

 

冴島:「どうしたの? 少し疲れたかしら?」

 

高崎:「いいえ。まだ大丈夫です・・・」

 

冴島:「貴方、嘘が下手ね。少し休憩しましょう」

 

高崎:「すみません・・・」

 

冴島:「今考えてる事、当てましょうか? こんなにもデッサンが疲れるなんてって思ってる?」

 

高崎:「はい・・・。正直、手がつりそうです・・・」

 

冴島:「無理も無いわね・・・。今日はこの辺にしときましょう。気晴らしに散歩でも行きましょうか?」

 

高崎:「散歩ですか?」

 

冴島:「ええ。お昼時を過ぎた所だし、それに今日は良い天気だわ。外の景色を見るのも勉強になるのよ」

 

高崎:「わかりました」

 

冴島:「そうと決まれば、行くわよ」

 

高崎:「はい」

 

 

 

 

 

 

冴島:「此処はいつ来ても心が落ち着くわ。初めて来た感想はいかがかしら?」

 

高崎:「とても気持ちの良い所ですね。森林の中に差し込む太陽の光が幻想的で、そして心地いいです」

 

冴島:「気に入ってもらえたようね。どう、続けれそう?」

 

高崎:「絵を描くことですか?」

 

冴島:「ええ。描いてて段々と険しい表情になってくもんだから、少し心配になったわ」

 

高崎:「すみません。長時間集中して描いてると、段々とああなっちゃって・・・」

 

冴島:「少しずつ慣れるといいわ。その為には書き続けること」

 

高崎:「はい。あの、1つ質問して良いですか?」

 

冴島:「良いわよ」

 

高崎:「冴島さんは、どうして画家になったのですか?」

 

 

 

冴島:「難しい質問ね・・・。しいて言うなら、表現をするのが好きだったかしら?

    小さい頃から、気になるものとか、気付いたら、絵に描いてたわ。

    それがきっかけだったのだと思う」

 

 

 

高崎:「昔から才能があったのですね」

 

 

 

冴島:「才能かどうかはその時には、まだわからなかった。だけど、絵を描くのが楽しかった。

    それは今でも覚えているわ。

    貴方はどうして画家になりたいの?」

 

 

 

高崎:「自分も絵を描くのが好きだからだと思います。気付いたら、画家を目指してました」

 

冴島:「そう・・・。きっかけなんて、そんなものよね」

 

高崎:「そうですね。でも、そのきっかけから、こうして立派な画家になった冴島さんは尊敬します」

 

冴島:「運が良かっただけかもしれないわ」

 

 

高崎:「そんな事ないですよ! 俺は、冴島さんの作品、好きです。見てて心が落ち着くと言うか・・・。

    とにかく心が動かされるんです」

 

 

 

冴島:「ありがとう・・・。こうして、好きと言ってくれる1人と出会えて、私は幸せものね。

    そういえば貴方の名前まだ聞いてなかったわね。

    名前、教えてもらえるかしら?」

 

 

 

高崎:「俺は高崎です。高崎 ノボル」

 

 

冴島:「高崎 ノボルね。覚えたわ。さてと、そろそろ戻りましょうか」

 

 

高崎:「はい」

 

 

 

高崎(N):「こんな細やかな幸せを感じてるいる間も、彼女を蝕む病は進行していた・・・」

 

 

 

冴島:「どうして・・・」

 

高崎:「どうかしたのですか?」

 

冴島:「ごめんなさい・・・。帰る道が・・・」

 

高崎:「道に迷った感じですか?」

 

冴島:「こんな事初めてよ・・・。待ってね・・・。すぐに思い出すから・・・。わからない・・・! どうしてなの・・・!」

   

高崎:「冴島さん、落ち着いてください」

 

冴島:「そうね・・・。落ち着いて考えたら思い出すはず・・・。駄目・・・。思い出せない・・・。」

 

高崎:「俺に任せてください」

 

冴島:「・・・」

 

高崎:「此処、通った記憶がある。冴島さん、こっちです」

 

冴島:「ええ」

 

 

 

 

 

 

高崎:「良かった。元来た道だ。戻って来れましたね」

 

冴島:「そうね・・・。此処から先は大丈夫よ。戻りましょう」

 

高崎:「はい」

 

 

 

 

 

 

冴島:「今日は本当ごめんなさい・・・」

 

高崎:「どうして謝るのですか?」

 

冴島:「森で迷ったのは私のせいだから・・・」

 

高崎:「冴島さんは悪くないです。今日はゆっくり休んでください」

 

冴島:「ありがとう・・・。そうするわね・・・」

 

高崎:「それじゃあ、また来ます。おやすみなさい」

 

冴島:「ええ。おやすみなさい」

 

 

 

(病院に定期診察に来てる冴島)

 

 

 

 

冴島:「ええ・・・。昨夜はお味噌汁と、焼き魚と、卵焼きでした・・・。

    一昨日の夕食ですか・・・? 一昨日は・・・確か、煮物と・・・。

    すみません・・・。他は思い出せません・・・。

    はい・・・。何か変わった事ですか・・・?

    実は・・・この前、普段よく行く場所の帰り道を忘れてしまいました・・・。

    ええ、その一度きりです・・・。そうですか・・・。私は、この先一体・・・。

    そうですよね・・・。すみません・・・。今日はありがとうございました・・・。また来ます・・・」

 

 

 

 

(病院の帰り道、1人悩みながら歩く冴島)

 

 

 

 

 

冴島(M):「怖い・・・。自分が自分で無くなっていくのがわかる・・・。どうして私なの・・・?

       私にはまだやらないといけない事が沢山あるのに・・・」

 

 

高崎:「冴島さん」

 

冴島:「高崎君・・・。奇遇ね・・・」

 

高崎:「はい。冴島さん、何かあったのですか?」

 

冴島:「どうしてかしら?」

 

高崎:「顔色がなんだか悪いので気になりました」

 

冴島:「少し歩き疲れたみたい。良かったら、どこかで休憩でもどうかしら?」

 

高崎:「それなら、そこの先におすすめのカフェがあるので、そこに行きましょう」

 

冴島:「わかったわ。案内よろしくね」

 

 

 

 

 

 

冴島(M):「カフェへの道中、彼は色々話しかけてくれた。だけど私は、さっきの診察結果で

       頭がいっぱいだった・・・。そうして悩んでる中、カフェへと到着した」

 

 

 

 

 

 

 

高崎:「何にしますか?」

 

冴島:「高崎君は決まったの?」

 

高崎:「俺はブレンドコーヒーとツナサンドにします」

 

冴島:「じゃあ私は、同じくブレンドコーヒーと玉子サンドにするわ」

 

高崎:「わかりました。すみません! 注文良いですか?」

 

 

冴島(M):「注文をしてくれてる間も、私はさっきの医者の言葉を脳内で繰り返していた・・・。

       どれくらい経っただろう。そんな私を心配して彼は再び聞いて来た」

 

 

高崎:「本当に大丈夫ですか? 何か深刻な顏してますよ」

 

冴島:「あのね・・・。さっき病院の定期診察に行ってきたの。その結果が良く無くて、それで色々考えてたわ」

 

高崎:「そうでしたか・・・。それで検査結果は?」

 

冴島:「前回の検査より悪化してるそうよ・・・」

 

高崎:「・・・」

 

冴島:「どうして私なの・・・。私は何も悪い事してないのよ・・・」

 

高崎:「冴島さんは悪くないです」

 

 

冴島:「嘘・・・。じゃあ、誰が悪いのよ! 私自身の行いが悪いから、こうなったのでしょ!

    変な慰めはよして!」

 

 

高崎:「すみません・・・。だけど、こればかりはどうしようも・・・」

 

 

冴島:「そうよね・・・。ただ運が悪かっただけなのよね・・・。怒鳴ったりして悪かったわ・・・。

    だけど、このどうしようもない怒りは、誰に向ければ良いのかわからない・・・」

 

 

高崎:「それなら、俺に向けてください」

 

冴島:「何をするかわからないのよ?」

 

高崎:「どんな事でも、俺が受け止めます」

 

冴島:「きっと後悔するわ・・・」

 

高崎:「後悔なんてしません」

 

冴島:「これから先の悲惨な未来が見えて無いから、そんな事が言えるのよ」

 

高崎:「それでも俺は、貴女の側を離れません」

 

冴島:「どうして?」

 

高崎:「初めて出会ったあの美術館から、惹かれていました」

 

冴島:「・・・」

 

高崎:「俺は・・・冴島さんの事が・・・」

 

冴島:「今はその先は言わないで。言ったら、きっと貴方は後悔する日が来るわ・・・」

 

高崎:「冴島さん・・・」

 

 

冴島:「明日、夜に家に来て。私に残された時間は無いの・・・。コーヒーとタマゴサンドはテイクアウトにするわ。

    それじゃあ、また明日ね」

 

 

 

高崎(N)「そう言い残すと、彼女はそそくさとお店を出て言った。どうして俺はあの時、告白をしようとしたのか。

      彼女の抱えてる気持ちを考えずに、俺はただ我儘を言う子供のようだった・・・」

 

 

 

 

(翌日の夜、冴島の家を訪ねる高崎)

 

 

冴島:「待ってたわ。中に入って」

 

高崎:「冴島さん、昨日はすみませんでした」

 

冴島:「どうして謝るのかしら?」

 

高崎:「それは・・・。あの時はあまりに自分勝手でした・・・。冴島さんの気持ちも考えずに・・・」

 

冴島:「確かにそうね・・・。だけど、嫌ではなかったわ・・・」

 

高崎:「それって?」

 

 

 

冴島:「私も、あの美術館で声をかけた時から、好きだったのかもしれない・・・。そして、この前、森林で道に迷った時の

    高崎君の心強さに、凄く安心したのも事実よ。だけど、これが恋なのかは、まだわからないわ。

    だから、返事はまだ待ってもらえるかしら?」

 

 

 

高崎:「勿論、それで良いです」

 

 

 

冴島:「ありがとう。それでね、高崎君に描いてもらおうと考えてる絵はね、私の肖像画よ。

    私を好きでいてくれる貴方なら、素晴らしい絵が描けると思うわ。

    そして、私がこの世にいた証明にもなると思うの。お願いできるかしら?」

 

 

 

高崎:「はい。精一杯、描かせていただきます」

 

冴島:「嬉しいわ。じゃあ、早速始めるわよ。着替えてくるから準備して待ってて」

 

 

高崎(M):「どれくらい待ったのだろう。戻って来た彼女は純白のドレスを着ていた。

       その姿は、夜の月明かりに照らされて、何とも言えない美しさだった」

 

 

冴島:「似合うかしら?」

 

 

高崎:「ええ、とっても・・・」

 

 

冴島:「良かったわ。じゃあ、どうすれば良いか、指示を頂戴」

 

高崎:「そうですね。そこの椅子に座って、目線はバルコニーに向けてください」

 

冴島:「わかったわ。その前に、音楽を流していいかしら?」

 

高崎:「構いませんよ。どんな曲ですか?」

 

冴島:「この曲よ」

 

 

 

 

 

 

高崎:「ショパンですか?」

 

冴島:「ええ、その通りよ。ショパンのノクターン・・・。絵を描く時は必ず流しているのよ。聴いてるとね、心が安らぐの・・・」

 

高崎:「良い曲ですね。穏やかな気持ちになります」

 

冴島:「気に入ってもらえたようで良かったわ。じゃあ、始めましょう」

 

高崎:「はい」

 

 

 

 

 

 

冴島:「このドレスね。次の絵の発表会で着る予定だったのよ。それが、肖像画の為になるなんて、あの時は思いもしなかった。

    だけど、今はこうなって良かったと思ってるわ」

 

 

高崎:「どうしてですか?」

 

冴島:「あら? 簡単な事よ。わからないのかしら?」

 

高崎:「わかりませんね」

 

冴島:「それは、こうして貴方に絵を描いてもらえるからよ」

 

高崎:「本当はわかってました。ただ、それを冴島さんの口から聞きたかったんです」

 

冴島:「もう、意地悪なところもあるのね」

 

高崎:「ええ」

 

冴島:「そこは謝るところでしょ?」

 

高崎:「そうですか?」

 

冴島:「そうよ」

 

高崎:「すみません」

 

冴島:「ふふっ、許すわ。どう上手く描けてるかしら?」

 

高崎:「どうでしょう。それは完成してからのお楽しみと言う事で」

 

冴島:「わかったわ。だけど、完成を見れるのかしら・・・。この絵が完成してる時に私は・・・」

 

 

高崎(N)「そう言って、体を震わせている彼女を見た瞬間、気付いたら俺は彼女を抱きしめていた」

 

 

冴島:「高崎君・・・。お願い・・・離して・・・」

 

高崎:「嫌です・・・。もう少しこのままでいさせてください・・・」

 

冴島:「わかったわ・・・」

 

高崎:「冴島さんが生きている間に、この絵は完成させます・・・。だからそんな悲しい事は言わないでください」

 

冴島:「ええ・・・」

 

高崎:「少し落ち着きましたか?」

 

 

 

冴島:「高崎君のおかげね。さっきまでの不安が嘘のように消えて言ったわ。

    本当は私・・・怖くてたまらないの・・・。

    自分が自分じゃなくなるのを感じる時もあるわ・・・。このまま、全ての記憶が消えたら・・・

    私はその時、元の私でいられるの・・・?

    アルツハイマーは、症状がどんどん悪化して、もって3年の命・・・。経った3年よ・・・。

    全ての記憶が消えるまで、どのくらいかかるかわからない・・・。

    記憶が消えた後の人生はどうなるのか不安で堪らないわ・・・」

 

 

 

 

高崎:「冴島さんの不安、怒り、悲しみ、全て俺にぶつけてください。1人で抱え込まないで。

    重みになんて感じません。これから先も俺はずっと側にいます」

 

 

 

冴島:「高崎君・・・」

 

 

 

冴島(N):「気付くと、私は、彼の唇に自分の唇を重ねていた。部屋中に響いてるノクターンの激しい旋律のように

       激しく何度も・・・」

 

 

 

冴島:「高崎君・・・。もっと私を感じて・・・」

 

高崎:「冴島さん・・・」

 

冴島:「ゆいよ。名前で呼んで頂戴」

 

高崎:「ゆい・・・」

 

冴島:「その調子よ。ノボル。もっと私の名前を呼んで・・・」

 

高崎:「ゆい・・・。ゆい・・・。ゆい・・・。好きだ・・・」

 

冴島:「私も好きよ・・・。ノボル・・・」

 

 

 

 

冴島(N):「どれぐらい時間が経っただろう・・・。彼とずっとこうしていたい・・・。だけどその夜から、月日が経つにつれ、

       そんなささやかな願いさえ、神様は許してくれなかったのだ・・・」

 

 

 

 

(あれから半年が経ち、絵の下書きは完成した。だが、冴島の症状は日に日に悪化していく)

 

 

 

 

冴島:「この半年の間、ノボルは頑張ったわ。ようやく下絵は完成ね」

 

高崎:「ゆいのおかげだよ。こうして、頑張れたのは」

 

冴島:「ノボル自身の才能よ。自信を持って。じゃあ、珈琲を入れるわね」

 

高崎:「ありがとう」

 

 

 

 

 

 

冴島:「お待たせ」

 

高崎:「あぁ」

 

冴島:「味はどう?」

 

高崎:「これは・・・」

 

冴島:「どうしたの?」

 

高崎:「ただのお湯だね・・・」

 

冴島:「そんな・・・。珈琲豆は入れたと思ったのに・・・」

 

高崎:「少し疲れてるんだ。俺が煎れようか?」

 

冴島:「駄目よ・・・。私にもう一度やらせて・・・」

 

高崎:「わかった」

 

 

 

 

 

 

高崎(M):「あれから10分以上経つけど、様子を見に行った方が良いだろうか?」

 

高崎:「おーい、珈琲は煎れられたかい?」

 

 

高崎(N):「返事が無いのを不安に感じた俺は、キッチンに向かった。

       キッチンに行くと、そこには泣き崩れている彼女の姿があった・・・」

 

 

冴島:「どうして・・・。たかが珈琲を煎れるだけじゃない・・・。なのに、どうして・・・出来ないの・・・」

 

高崎:「ゆい・・・」

 

 

冴島:「珈琲豆の置いてる場所が思い出せないの・・・。ノボルの大好きなあの珈琲豆・・・。どうして・・・。

    珈琲フィルターも何処にあるのか思い出せない・・・」

 

 

高崎:「ゆい、少し落ち着け・・・。まずは深呼吸するんだ・・・」

 

冴島:「ノボル・・・。私・・・」

 

高崎:「珈琲は俺が煎れるから、ゆいはリビングで待ってて。良いね」

 

冴島:「わかったわ・・・。お願いね・・・」

 

 

 

 

高崎(N):「彼女の力なくリビングに移動する姿を見て、俺は、このままじゃ行けないと感じた。

       翌日、彼女が起きる前に、考えてる事を俺は実行した」

 

 

 

 

冴島:「おはよう、ノボル。これって・・・」

 

 

高崎:「おはよう、ゆい。これはだな・・・」

 

冴島:「冷蔵庫に、棚に、食器棚、リビングにもこんなに・・・」

 

高崎:「ごめん。昨夜の ゆいの姿を目の当たりにして、色々と考えたけど、こうするべきだと思ったんだ・・・」

 

冴島:「どうしてなの・・・? 私は・・・。ここまでおかしくなってないわ・・・!?」

 

 

 

高崎(N):「そう言った後に、彼女は、彼女の為にと考えた付箋やメモ書きを、剥がしてズタズタに引き裂いた・・・」

 

 

 

高崎:「ゆい、止めるんだ! それが無いと、ゆいが困るんだぞ!」

 

冴島:「ノボルこそわかってない! どうして、私をもっと信じてくれないの? そんなに昨夜の事が嫌だった? 惨めに見えた?」

 

高崎:「そうじゃない! 俺は、ゆいの事が心配でたまらなくなって・・・」

 

 

冴島:「心配・・・? あぁ、そうよね・・・。この先、私が料理してて、包丁の使い方も忘れて、

    投げつけたり、落としたりするかもしれないわよね!」

 

 

高崎:「そんな事にはならないし、俺がその時は全力で止める」

 

 

 

冴島:「無理よ・・・。その時の私は、ノボルの好きな私でないのかもしれないのよ!

    私自身もノボルを傷つけても平気かも知れないし、

    そんな自分を考えるのも想像するのも嫌なの!」

 

 

 

高崎:「落ち着くんだ! まずは冷静にならないと行けない・・・」

 

 

冴島:「冷静になったら、この病気は治るの!? 治るのならいくらでも冷静にでもなんでもなるわよ!」

 

 

(そう言うと次の瞬間、冴島はキッチンの包丁を手に取る)

 

 

高崎:「包丁なんて持ってどうするんだ!?」

 

冴島:「もう嫌なの!? これ以上、自分じゃなくなるのを耐えれない! お願いだから・・・死なせて!!!」

 

高崎:「馬鹿を言うんじゃない! 今、死んだら、あの絵はどうなる!? 完成するのを見るんだろう?」

 

冴島:「絵は・・・。あぁ・・・! わからない・・・。どうして・・・。怖い・・・!!! 誰か助けて!!!」

 

高崎:「ゆい・・・!!!」 

 

冴島:「駄目! 来ちゃ駄目よ! ノボル!!!」

 

 

 

 

 

 

冴島:「ノボル、どうしてこんな無茶を・・・」

 

高崎:「気づいたら動いてた・・・」

 

冴島:「ノボルの大事な手が・・・」

 

高崎:「絵を描く手とは違うし・・・傷も浅いよ」

 

冴島:「ごめんなさい・・・。私が錯乱したばかりに・・・」

 

高崎:「ゆいが怪我しなくて本当良かった・・・」

 

冴島:「ノボル・・・」

 

 

 

 

 

冴島(N):「私は・・・大事な彼をとうとう傷つけてしまった・・・。

       後悔をしても、あの朝には戻る事は出来ない・・・。

       ううん、違う。今の私は・・・、後悔すら出来なくなっている・・・。

       あれから、更に半年の月日が流れ、彼と出会ってから、1年が経過した・・・。

       そろそろ、限界なのかもしれない・・・。そう思った私はある決断をした」

 

 

 

 

冴島:「絵の完成まで、あと数か月という所ね。本当にこの1年、ノボルは頑張ったわ」

 

高崎:「ゆいが一緒に頑張ってくれたから、此処までこれたんだ」

 

冴島:「そうね・・・。だけど、それも今日でおしまい。ノボル、別れましょう・・・」

 

高崎:「何を言い出すんだ? 絵も完成間近だし、ゆいの調子もここ数ヵ月良かったじゃないか?」

 

 

 

 

冴島:「だからよ・・・。ノボルの事を覚えていられる、今だからこそ、ちゃんとお別れをしたいの・・・。

    それに・・・ノボルには気づかれないように頑張ってたのだけど、そろそろ限界・・・。

    私ね・・・。この前、ノボルが作って冷蔵庫に入れてくれてた、グラタンを・・・温めずに食べたの・・・。

    それだけじゃないわ・・・。その時に、フォークも使わずに手で、まるで赤ちゃんのように食べてたわ・・・」

 

 

 

高崎:「そんな事があったなんて・・・」

 

 

冴島:「我に返った時に、思った・・・。こんな惨めな姿をノボルに見せたくないって・・・。だからお願い・・・。

    別れましょう・・・。それが2人の為には最善なのよ・・・」

 

 

高崎:「別れたあと、ゆいはどうするんだ・・・?」

 

冴島:「私の事は心配しなくて良いわ・・・。ノボルにも、他の人にも迷惑かけないようにする為に、もう決めてあるの」

 

高崎:「何をだ?」

 

冴島:「施設に入るの」

 

高崎:「何処の施設だ?」

 

冴島:「それを言ったら、会いに来るでしょう? それじゃあ、駄目なの。だから、何処にあるかは教えないわ」

 

高崎:「俺はどうしたら良い? ゆいを失ったら俺は・・・」

 

 

冴島:「ごめんなさい・・・。でも、これ以上、ノボルに迷惑かけたくないのよ・・・!

    ノボルとこのまま居続けたら、私は、ノボルの優しさに甘えてしまう・・・」

 

 

高崎:「それがどうしていけないんだ?」

 

冴島:「お願いだから・・・綺麗な私のままで、ノボルの記憶にとどめさせて・・・」

 

高崎:「俺は・・・」

 

冴島:「絵は、ノボルの家に後で送っておくわ。最後まで完成させてね。約束よ」

 

高崎:「あぁ・・・」

 

冴島:「ありがとう・・・」

 

高崎:「じゃあ、さようなら、ゆい・・・」

 

冴島:「さようなら、ノボル・・・」

 

 

 

(立ち去ろうと玄関に向かった高崎を、呼び止める冴島)

 

 

 

冴島:「待って! ノボル!」

 

高崎:「どうしたんだ?」

 

冴島:「最後にもう一度、抱きしめて。それで最後。お願い・・・」

 

高崎:「わかった・・・」

 

冴島:「もっときつく抱きしめて・・・。私の記憶が例え消えても、心には残るくらい・・・」

 

高崎:「あぁ・・・。俺もゆいの事は忘れない・・・」

 

冴島:「ありがとう・・・。ノボル・・・」

 

 

 

 

冴島(N):「こうして私は、彼と別れ、海沿いの小さな施設に入った。

       彼の事を徐々に忘れるだけでなく、何もかも忘れていくのがわかる・・・。

       だけど、前のような不安や怖さはもうない・・・。

       だって、記憶は全て消えても、私にはあの最後の夜、彼に抱きしめられた

       ぬくもりが今も心に残っているのだから」

 

 

 

 

高崎(N):「あれから気付けば2年の歳月が経っていた。あの1年間の出来事は今では

       夢だったようにも思える時がある。だけど、確かな現実だと思い出させてくれるのは、

       この肖像画が、こうしてあるからなのだ。この絵のおかげで、俺は賞を受賞し、有名にもなれた。

       そして、今日はそんな自分の初めての展覧会の日だ」

 

 

 

 

 

高崎:「御集りの皆様、本日はこうして、私の絵を見に来てくださり、光栄に思います。

    思えば私は、売れない画家でした・・・。

    そんな葛藤の日々を続けている中、ある一人の女性と出会い、

    運命の悪戯からか、その人の元で絵を描くことになりました・・・。

    この絵はそんな彼女を描いたものです。

    そして私がこうしてデビューするきっかけにもなった大事な絵です。

    挨拶が長くなりましたが、本日はどうか、存分に堪能して行ってください」

 

 

 

 

 

高崎(N):「挨拶をおえて、会場を回っていると、ふと後ろから声をかけられた。

       振り向いた先にいたのは・・・紛れもなく彼女だった」

 

 

 

高崎:「貴方は・・・」

 

 

冴島:「いきなり声をかけてすみません・・・。この絵の事でお尋ねしたくて」

 

高崎:「なんでしょう?」

 

冴島:「この絵に描かれている方はどなたなのですか?」

 

高崎:「この絵に描かれている女性は、私にとって、この世で一番大事な人です・・・」

 

冴島:「そうですか。この絵の噂を聞いて、一目見たくて、遠くから足を運びました」

 

高崎:「そうでしたか・・・。この絵を見た感想を聞かせていただけますか?」

 

冴島:「そうですね・・・。見てると心が穏やかになります・・・。それにこの絵の方・・・とても幸せそう」

 

高崎:「彼女は本当に、貴方の言う通り、幸せだったのでしょうか?」

 

冴島:「ええ。幸せだったと思いますよ。だって、御覧なさい。絵の中の彼女は、こんなに優しく微笑んでるじゃありませんか」

 

高崎:「そうですね・・・」

 

冴島:「どうかされましたか? 私ったら、何か気に障る事を・・・」

 

高崎:「いいえ・・・。その言葉が嬉しかっただけです」

 

冴島:「そうですか・・・」

 

高崎:「あのう、初めて会ったばかりで、失礼だと思いますが、この後時間はありますか?」

 

冴島:「ええ」

 

高崎:「良ければ貴方をお連れしたい場所があるんです」

 

冴島:「私をですか?」

 

高崎:「はい」

 

冴島:「わかりました。案内してください」

 

高崎:「ありがとうございます。こちらです」

 

 

 

(美術館出て、歩き出す2人、やがて着いた場所は、かつての森林だった。)

 

 

 

 

 

 

 

 

高崎:「着きました。此処です」

 

 

冴島:「とても綺麗な森林ですね。でもどうして此処へ連れて来たかったのですか?」

 

高崎:「それは少し長いお話になるのですが、構いませんか?」

 

冴島:「ええ。その前に、お名前を聞かせていただけますか?」

 

高崎:「私の名前は、高崎 ノボルです」

 

冴島:「高崎・・・ノボル・・・」

 

高崎:「どうかされましたか・・・?」

 

冴島:「いえ・・・。なんだか、とても懐かしく思えて・・・。あれ? なんで・・・私・・・涙が・・・」

 

高崎:「・・・」

 

冴島:「どうかされましたか?」

 

高崎:「いいえ。何でもないです。あのう、ショパンはお好きですか?」

 

冴島:「ええ。好きだと思います」

 

高崎:「良ければこの先に、私のアトリエがあります。そこで、ノクターンを聞きながら、お茶でもいかがですか?」

 

冴島:「はい・・・。喜んで」

 

 

 

 

 

 

 

高崎(N):「こうして再び・・・」

 

冴島(N):「二人は出会った・・・。昼下がりの森林で・・・」

 

 

 

 

 

 

 

終わり