消失のスノー・メモリー
作者 片摩 廣
登場人物
上原 沙妃(うえはら さき)・・・若年性アルツハイマーを発症して通院している
一色 直樹(いっしき なおき)・・・上原 沙妃の恋人
細川 康晴(ほそかわ やすはる)・・・担当医師
過去に若年性アルツハイマーで、親友を亡くしている
比率:【2:1】
上演時間【60分】
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CAST
上原 沙妃:
一色 直樹:
細川 康晴:
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細川:(N)「記憶は永遠ではない・・・。
一生、忘れたくないと思っていても、脳の衰えと共に、思い出したくても少しずつ忘れていく・・・。
パソコンのメモリーのように保存が出来たら、何も心配する事はないだろう・・・。
だが、そうではない・・・。人間は、忘れる生き物だ・・・。
一般的に、物忘れなどは、誰にでも起こる事だが・・・、
それがもし、病気によって突如起きたら・・・、その時、貴方は、どうしますか・・・?」
上原:(N)「私は・・・、好きになった人と結婚して、一緒に年を取ったり・・・、
一軒家の縁側で・・・、季節の移り変わりを楽しんだり・・・、
そういう細やかな幸せを・・・、望んでいただけだった・・・。
それなのに・・・」
間
細川:「・・・それでは、上原さん、今日は西暦何年、何月何日ですか?」
上原:「今日は・・・、2022年・・・、12月・・・、12月・・・」
細川:「続けて・・・」
上原:「・・・すみません、分かりません・・・」
細川:「・・・それでは、次の質問です。貴方の干支は覚えてますか?」
上原:「干支は・・・、あっ・・・、干支・・・」
細川:「急がなくて大丈夫です。ゆっくり思い出して見てください」
上原:「・・・すみません。・・・思い出せないです・・・」
細川:「宜しい・・・。それでは最後に、貴方のお付き合いしている人の名前は?」
上原:「えっと・・・、一色 直樹・・・」
上原:(N)「例え・・・、他の事を忘れても、愛している人の名前は忘れたくない・・・。
私は、その時、そう願った・・・」
間
一色:「・・・沙妃、お疲れ。診察はどうだった・・・?」
上原:「直樹・・・。どうしたのよ、お迎えの時間より早くて、驚いちゃった・・・」
一色:「お前の体調が心配で、少し早めに迎えに来たんだ・・・」
上原:「そう・・・」
一色:「顔色、悪くないか・・・?」
上原:「いつも通りだと思うけど・・・、少し疲れたかな~・・・」
一色:「病室で、休ませてもらうか?」
上原:「ううん・・・。そこまでは酷くない。2階の喫茶店で、待ってるね」
一色:「いつもの場所だよな?」
上原:「もう・・・、毎回、同じ質問なの、気付いてる?」
一色:「そうだったか・・・。癖になってるみたいで、気付かなかった」
上原:「それなら、許す。・・・ねぇ、細川先生、待ってるよ」
一色:「そうだな、行ってくる。沙妃、くれぐれも無茶は・・・」
上原:「わかってるって。早く行って」
一色:「おう・・・」
上原:(N)「・・・彼を見送った後、私はいつもの場所に向かう。
気が滅入る通院の中で、唯一、心が休まる私の聖域だ。
・・・2階にあるお気に入りの喫茶店には、二通りの行き方がある。
一つは、喫茶店の目の前にある階段を通る方法。
もう一つは、遠回りになるけど、少し離れたエレベーターに乗る方法だ。
私は迷わず、いつものエレベーターに向かう。
2階に到着して、エレベーターから降りると、長い廊下を通り抜ける。
此処も私のお気に入りの一つだ。廊下の窓はガラス張りになっていて、
そこから見える中庭の風景が、とっても綺麗・・・だった・・・」
上原:「私ったら馬鹿ね・・・。今は冬じゃない・・・。色鮮やかな花も、春までお預けね・・・」
上原:(N)「ガッカリした気持ちを切り替えるように、私は足早に、お気に入りの喫茶店に向かう・・・」
間
細川:「以上が本日の診断結果です。・・・何かご質問は?」
一色:「彼女の病気は、予想以上に・・・、進行してるというわけですね・・・」
細川:「残念ですが、その考えで合っています」
一色:「・・・」
細川:「そう落ち込まないでください。本日の診断で、上原さんは、一色さんの名前を即答されました」
一色:「本当ですか・・・?」
細川:「本当ですよ。それだけ、一色さんの記憶は、彼女にとって大事な事なのでしょう」
一色:「そうだと嬉しいです・・・」
間
細川:「薬を服用する事で、病気の進行を抑える事も出来るので、
これから先の不安もあると思いますが、根気よく治療していきましょう」
一色:「はい・・・」
細川:「いつも通り薬は、2週間分、処方してますので、また2週間後に」
一色:「ありがとうございます・・・」
間
上原(N):「窓際の席で、彼が来るまで、エスプレッソを飲んで待つのも、私の定番だ。
最初の頃は、苦くて飲めなかったけど、通院を繰り返す度に、
慣れたからだろうか、飲めるようになったのだ・・・」
上原:「いつも通りの味で落ち着く・・・。美味しい・・・」
上原(N):「その時・・・、ふと頭に過る・・・。
このいつも通りの味が、美味しいと感じていられる時間は、
後、どのくらい、私には残されているのだろう・・・。
健常者が、日常で当たり前に感じられる、この感覚も・・・、
この先、私は・・・、分からなくなる・・・。
明確に、この日からですと分かるのならば、覚悟も出来ると思う・・・。
だが、そうではない・・・。いつからか分からない恐怖だからこそ・・・、
この病気は恐ろしいのだ・・・。私はこれから、どうしたら・・・」
一色:「沙妃・・・。なぁ、沙妃・・・。・・・おいっ、沙妃ってば・・・!」(いつからかくらいから、台詞を被せていく)
上原:「直樹・・・。いつの間に来てたの・・・」
一色:「随分と集中してたけど、どうかしたのか?」
上原:「ううん・・・。何でもない。
そんな事より、今日は、いつもより来るの遅かったけど、何かあった?」
一色:「別にいつも通りだけど。・・・あっ、またエスプレッソ、飲んでたのか・・・。
いつも同じメニューで、よく飽きないな・・・」
上原:「直樹が美味しいから、飲んでみろって、私に勧めたんじゃない・・・!
そのお陰で、今では飲めるようになったのよ・・・」
一色:「・・・そうだったか? じゃあ、お詫びに、今度、エスプレッソより美味しい飲み物、教えてやるよ。
だから、機嫌直してくれ・・・」
上原:「う~ん、それなら許す・・・。ねぇ、会計は済んだの?」
一色:「あぁ、済ませたよ。後は、いつも通り、下の薬局で薬、取ってくるだけ」
上原:「いつも通り・・・」
一色:「どうかしたか?」
上原:「ううん・・・。じゃあ私も、いつも通り車の中で待ってる」
一色:「わかった。じゃあ、行くか」
上原:「うん・・・」
上原(N):「大好きな彼から、何気なく出た、いつも通りという言葉が、
今日の私には・・・、重く伸し掛かった・・・。
薬局に着いてからも、私はその事ばかりがループしていた・・・」
(車の開閉音)
一色:「うわぁ~、寒くなってきた~・・・。待たせたな・・・。
待ってる間、大丈夫だったか・・・?」
上原:「え? どうして・・・?」
一色:「窓の外、見てみろよ」
上原:「あっ・・・、雪・・・。いつの間に、降り出したの・・・?」
一色:「少し前だよ・・・。今年のクリスマスは、ホワイトクリスマスになったりしてな」
上原:「そうだと嬉しいな・・・。私、雪って大好きなんだ・・・」
一色:「・・・あ、それなら、積るくらい降ったら、雪だるまでも作るか?」
上原:「良いね! 後、雪合戦とかもしたい」
一色:「え~、雪合戦は、流石に寂しくないか・・・。
友達、呼ぶにしても、誰、呼ぶのかも考えなきゃ・・・」
上原:「私と直樹だけでも、絶対、楽しいよ」
一色:「俺と二人っきり・・・?」
上原:「うん・・・。二人っきり・・・」
一色:「まぁ~、沙妃が言うなら、間違いないか!」
上原:「もう、直樹ってばそればかり! ふふふ!」
一色:「うううう・・・。雪遊びの事、考えてたら、本格的に冷えてきた・・・。早く家に帰ろう・・・」
上原:「うん」
上原(N):「私は、そう彼に応えると、家路へと向かう車窓から、降り続く雪景色を、暫し見つめていた・・・」
間
細川:「あれは、上原さん・・・」
上原:「・・・(溜息)」
細川:「こんな所で、会うなんて奇遇ですね」
上原:「あっ・・・、細川先生・・・。先生こそ、どうして此処に?」
細川:「健康の為に、日課のマラソンです。上原さんこそ、溜息なんてついて、どうかされたのですか?」
上原:「・・・これから先の事、考えてました・・・」
細川:「そうですか・・・。ですが、今日は冷え込んでるので、長時間は体に・・・」
上原:「・・・細川先生は、どうして脳神経外科の先生に?」
細川:「・・・」
上原:「あっ・・・私ったら言いにくい事を、訊いてしまって・・・。言えないなら別に・・・」
細川:「私がこの職業に就いたのは・・・、大事な親友を亡くしたからです・・・。
上原さんと同じ、若年性アルツハイマーでした・・・」
上原:「その親友は・・・?」
細川:「施設で、亡くなりました・・・。この職業は、元は彼の将来の夢でした。
医者になる為に、一生懸命で、努力も惜しまなかった・・・。
病気を知った時の、彼の表情は・・・、今でも忘れられません・・・。
次第に自暴自棄になって・・・、私や周りに対しても、距離を置くようになり・・・。
そして、彼は施設に入りました・・・」
上原:「そうだったんですね・・・」
細川:「親友の為に、あの時、何か出来たのではと・・・、後悔で眠れない日々もあります・・・。
・・・距離を置かれても、諦めずに・・・」
上原:「・・・何か出来るとしたら、それは、これから試してみてはどうですか?」
細川:「え・・・?」
上原:「後悔ばかりしていては、細川先生も前に進めないです。
親友にしてあげたかった事、私に教えてください」
細川:「・・・」
上原:「駄目ですか・・・?」
細川:「・・・ノート」
上原:「え?」
細川:「・・・ノートに、忘れたくない事を記入してください。
・・・頭の中から、記憶は失われ続けても、ノートに書いた言葉、思い出は残ります」
上原:「ノートに思い出を残す・・・。良いアイディアですね。
細川先生・・・、私、やってみます!」
細川:「上原さん・・・」
上原:「・・・このまま何もかも、忘れてしまう恐怖で一杯でしたけど、
先生のおかげで、残りの時間で、出来る事が見つかりました!
ありがとうございます・・・!」
細川:「上原さん・・・、貴女・・・」
上原:「・・・若年性アルツハイマーは、発症してから・・・、約3年で死に至る病気・・・。
現在の医療では、完治することは不可能・・・。
先生に、診断を受けてから、私なりに調べました・・・。
・・・3年って、あっという間ですよね・・・」
細川:「・・・」
上原:「湿っぽい気分にさせて、ごめんなさい・・・。そろそろ家に帰ります。
細川先生・・・。私・・・、最後の最後まで・・・、足掻いて、足掻き続けて・・・、生きます・・・」
細川:「上原さん・・・」
上原:「ノート、教えてくれて、ありがとうございました。それでは!」(笑顔で挨拶)
間
上原(N):「翌日、私は早速、細川先生に教えてもらったノートを書き始める。
・・・2階の喫茶店。・・・病院の廊下から見える色彩豊かな花達。
・・・エスプレッソ。・・・家族の名前・・・。
そして・・・、直樹・・・。
私は、残したい大事な物を・・・、無我夢中に書き続けた・・・。
・・・例え、此処に書いた大事な物を・・・、全て忘れたとしても・・・、
このノートを読んでくれた誰かが・・・、私の存在を・・・、忘れないで居てくれる・・・。
・・・そう、信じて・・・、私は、大事な物を書き続けた・・・」
間
一色:「沙妃・・・。此処に置いてあったペン知らない・・・?」
上原:「・・・」
一色:「聞いてるのか? 沙妃? 俺のペン・・・」
上原:「私の大事なピアス・・・。何処に行ったの・・・?」
一色:「え?」
上原:「此処に確かに置いておいたの・・・!? でも、今見たら、置いてなくて・・・!?
もう今日は・・・、あのピアスじゃないと・・・、駄目なの!?
直樹・・・、知らない・・・?」
一色:「俺が見た時は、ピアスなんて置いてなかっ・・・」
上原:「嘘よ!!! それじゃあ、ピアスが勝手に何処かに移動したって言うの!?
もう時間がないのに・・・!? ・・・一体、何処にあるのよ・・・!?」
一色:「落ち着け! 見つからないなら、他のピアスで・・・」
上原:「馬鹿言わないで!!! そうだ・・・! 寝室のキャビネット・・・!」
一色:「沙妃・・・!」
上原:「・・・。・・・これじゃない・・・!? これも・・・違う!!!
この箱は・・・!? もう・・・、これも違ううううう!!!!
こっちの棚は・・・、う~、此処にも入ってない・・・!!!
もう!!! 嫌ああああああああ!!!!!」(戸棚の引き出しを放り投げる)
一色:「何してるんだ!? 沙妃!!!?」
上原:「・・・あのピアスじゃなと・・・、駄目なの・・・!? なのに・・、見つからない・・・!!!
何処に置いたか・・・、思い出せない・・・!!!!
・・・直樹が初めてプレゼントしてくれたピアスなのに・・・。どうして・・・」
一色:「しっかりするんだ・・・沙妃! ピアスなら・・・、また買ってやる・・・!
・・・だから・・・、もう・・・、こんな無茶はよしてくれ・・・」
上原:「直樹・・・。私・・・怖いの・・・!
私の中に、知らない私が・・・、どんどん上書きされていくみたい・・・!
・・・直樹が・・・、愛してくれた私が・・・消えて無くなっちゃう・・・!
怖いよ・・・。直樹・・・!」(直樹に抱き着き涙を流しながら)
一色:「大丈夫だから・・・。俺が側に居る・・・。だから、落ち着いてくれ・・・」
上原:「・・・」
一色:「・・・落ち着いたか? 沙妃・・・?」
上原:「直樹・・・、どうして、私に抱き着いてるの・・・?」
一色:「え・・・?」
上原:「それに寝室が、こんなに散らかってる・・・!
戸棚の中に閉まってあった物まで・・・、床に散乱してるし・・・。
もしかして、地震でも起こったの・・・!?」
一色:「覚えてないのか・・・?」
上原:「・・・何を? 地震があった事・・・?」
一色:「沙妃・・・」
上原:「・・・そうだ、出かける用意してたんだ・・・。早く家から出なくちゃ・・・」
一色:「・・・沙妃。待ってくれ・・・! 俺も、一緒に行く・・・!!!」
上原:「わかった。早く用意してね・・・」
一色:「・・・もしもし、すみません。タクシーを大至急・・・。場所は・・・」
間
(タクシーで病院に向かう一色)
細川:「今年は、去年と違って、積もりそうですね・・・」
上原:「え・・・? 何がですか・・・?」
細川:「雪ですよ。・・・もうすぐクリスマスです。
クリスマスは、一色さんと過ごされるのですか?」
上原:「一色・・・。すみません、誰の事でしょうか?」
細川:「・・・直樹さんの事ですよ。・・・一色 直樹さん・・・」
上原:「直樹・・・、あっ、私の彼の名前ですね・・・」
細川:「今日は、2週間前より、調子が悪そうですね・・・」
上原:「すみません・・・。今朝から、頭痛が酷くて・・・」
細川:「そうですか・・・。それでは、いつもの薬と一緒に、頭痛薬も処方して置きます」
上原:「ありがとうございます・・・」
細川:「それでは、次の質問です。今朝は何時に起きられましたか?」
上原:「今朝は・・・、確か・・・、7時に起きました・・・」
細川:「今日は、この病院には、どの交通機関を使って、来られましたか・・・?」
上原:「交通機関・・・。確か・・・、市営バスに乗って・・・」
細川:「それは、本当ですか?」
上原:「確かそうです。駅から市営バスに乗って・・・、それから・・・」
細川:「上原さん・・・。もう一度、質問します。
今日は、どのように、この病院には来られましたか?」
上原:「ですから・・・、駅から市営バスに乗って・・・、あっ・・・そうじゃなかった・・・」
細川:「続けて」
上原:「私の家から彼の車で・・・。ううん・・・違う。今日は・・・、彼の家から・・・、タクシーで病院に・・・」
細川:「宜しい・・・」
上原:「先生・・・、私・・・」
細川:「どうかされましたか?」
上原:「あっ・・・、何でもないです・・・」
細川:「少しでも、疑問に思った事、不安に思った事は、隠さず話してみて下さい」
上原:「・・・最近、物忘れが激しくなった気がするんです・・・」
細川:「続けて」
上原:「馴染みのお店に、買い物に行くはずが、気付くと、知らないお店に入って買い物してました・・・」
細川:「それは、いつの事ですか?」
上原:「確か・・・、3日・・・か、5日前・・・の事だったと、思います・・・」
細川:「そうですか・・・。他に変わった事はありますか?」
上原:「他は、多分ありません・・・」
細川:「わかりました。それでは、今日の診断は此処までにしましょう」
上原:「ありがとうございました・・・」
間
上原:「・・・診察、終わったから・・・、喫茶店に行かなきゃ・・・。
あれ・・・? どうして、私・・・、喫茶店に行くんだっけ・・・?」
一色:「・・・沙妃、どうした? 大丈夫か・・・?」
上原:「え・・・? ・・・貴方・・・、誰ですか・・・?」
一色:「沙妃・・・、俺だよ・・・! 直樹だよ・・・!」
上原:「嫌・・・!? 誰だか知らないけど・・・、近寄らないで・・・!
それ以上・・・こっちに来たら、叫びますよ・・・!!!」
一色:「止めてくれ。他の患者の迷惑になるだろう・・・!」
上原:「嫌・・・! この手を放して、誰か来てください・・・! きゃあああああああああああ!!!!
誰か助けてええええええええええ!!!!!」
一色:「沙妃・・・!!! おいっ!!! しっかりしろ!!!」
細川:「上原さん・・・! 落ち着いてください・・・! 私です・・・! 私が誰か、分かりますか?」
上原:「細川先生!!! ・・・私、怖かったんです・・・!!! 知らない人に、いきなり声かけられて・・・!!!」(怯えながら)
細川:「上原さん・・・! 大丈夫ですよ・・・。一度、大きく深呼吸してください」
上原:「(深呼吸)×3回」
細川:「・・・どうですか? 落ち着きましたか?」
上原:「・・・はい・・・」
細川:「宜しい。それでは、上原さん、よく私の言うことを聞いてください。
そこに居る人は、貴方の彼、一色 直樹さんですよ」
上原:「一色 直樹・・・」
細川:「そうです。何か思い出しましたか?」
上原:「・・・ああああ、私・・・!!!! どうして・・・!!!」 (診察室に向かう間、動揺して混乱している)
細川:「上原さん、落ち着いてください! 此処ではなく・・・、診察室に戻りましょう。
さぁ、こっちです・・・」
一色:「細川先生・・・」
細川:「上原さんは、だいぶ混乱してるので・・・、ベッドに少し休ませます・・・。
ですので、お話は、いつもの診察室ではなく、奥の診察室Cに、お越しください」
一色:「わかりました・・・」
上原(N):「細川先生に、支えてもらいながら、診察室に向かう間も・・・、
私の脳内は・・・、彼に対する罪悪感とこの先の事で一杯になっていた・・・。
・・・私はこの先・・・、私の知らない私になる・・・。
そうなったとしたら、彼に対する愛情も・・・、それ以外の事も・・・、
全部、忘れてしまう・・・。そんな私でも・・・、彼は・・・、愛してくれるのだろうか・・・」
間
細川:「お待たせしました」
一色:「細川先生・・・、沙妃は・・・?」
細川:「泣きつかれたのか、ベッドで大人しく休んでいます」
一色:「そうですか・・・」
細川:「・・・その手に持ってるノート・・・。もしかして?」
一色:「このノート、何かご存じなんですね・・・」
細川:「ええ・・・。私の予想が正しければ・・・、そのノートは・・・」
一色:「沙妃のノートです・・・。沙妃の持ってたバッグから、飛び出してました・・・」
細川:「中身は、読んだのですか・・・?」
一色:「・・・ええ。・・・エスプレッソ。・・・雪だるま・・・。・・・雪合戦・・・。
・・・沙妃の家族の名前・・・。・・・そして、俺の名前・・・。
沢山、書かれていました・・・。このノートは・・・?」
細川:「沙妃さんの、忘れたくない大事な物が書かれたノートです。
私が、書くように教えました・・・」
一色:「そうですか・・・。・・・細川先生・・・、書かれている部分の、
最後のページ、開いてみて下さい・・・」(細川にノートを渡す)
細川:「わかりました。・・・これは・・・」
一色:「今朝・・・、沙妃は、俺が付き合い始めて、初めてプレゼントした、クリスマスプレゼントのピアス、
何処に置いたか分からなくなりました・・・」
細川:「続けて」
一色:「次第に、沙妃は怒って、寝室に向かい、キャビネットにある物を床に散乱させたり・・・」
細川:「大変でしたね・・・」
一色:「そうかと思えば・・・、思えば・・・。・・・くそっ・・・!」
細川:「・・・暴れた記憶も残ってなかったのですか?」
一色:「はい・・・」
細川:「そうですか・・・。・・・この最後のページ、涙で滲んでますね・・・」
一色:「・・・沙妃は、泣きながら、書いたんだと思います・・・。
泣きながら・・・、俺の名前を何度も・・・、何度も・・・!」
細川:「・・・一色さんの名前で、溢れかえってますね・・・」
一色:「・・・」
細川:「今年のクリスマスイブは、雪のようですね・・・」
一色:「雪、積もりますかね?」
細川:「さぁ、どうでしょう・・・」
一色:「・・・沙妃と、一緒に雪だるま、作ろうって約束したんです・・・」
細川:「そうですか・・・」
一色:「雪合戦も・・・、二人っきりでも楽しいから、やりたいって・・・」
細川:「楽しそうですね・・・」
一色:「細川先生・・・。俺・・・、俺・・・」
細川:「辛いでしょうけど・・・、ちゃんと自分で決断しなければいけませんよ。
それが、一色さん。貴方自身の為でもあります」
一色:「はい・・・」
細川:「いずれ消える記憶だとしても・・・、何もしないで、待つよりは、楽しいはずです。
残された時間が、短いからこそ・・・、人は、一生懸命に自分の生きた証を残すのです。
どうか・・・、悔いの残らないように、過ごしてくださいね」
一色:「ありがとうございます・・・、先生・・・」
間
上原:「・・・あっ・・・、直樹・・・」
一色:「少しは、気分、よくなったか?」
上原:「うん・・・、休ませてもらったから、大丈夫・・・」
一色:「それなら、家まで送るよ」
上原:「帰る前に・・・、喫茶店に寄りたいな・・・」
一色:「え? ・・・喫茶店・・・?」
上原:「あっ・・・ごめん・・・。そうよね・・・、流石に、今日は、家に帰らないと駄目だよね・・・」
一色:「そうそう・・・、気分よくなっても、今日は大人しく、俺の言うことを・・・」
上原:「わかった、ちゃんと従う。・・・心配かけて、ごめんね・・・」
一色:「良いんだ。・・・なぁ、沙妃・・・」
上原:「どうかした?」
一色:「クリスマスは、雪が降るみたいだから、雪だるまも、雪合戦もしような・・・!」
上原:「本当に?」
一色:「あぁ・・・!」
上原:「楽しみだな~。絶対に、約束だからね・・・!」
一色:「あぁ・・・、約束だ・・・」
間
上原(N):「彼からの嬉しい提案から、更に日にちは過ぎて・・・。
クリスマスイブの当日・・・。
今日は、心なしかいつもより、調子が良い。
彼からの連絡が来て、私は待ち合わせの公園に向かった・・・」
一色:「よっ・・・」
上原:「ごめん、待った・・・?」
一色:「ううん、俺も今、来たとこ。それにしても、予想以上に、積もったな~・・・」
上原:「うわぁ~、綺麗・・・。・・・これなら、雪だるまも、雪合戦も出来るね・・・!」
一色:「あぁ・・・、そう・・・だな・・・!!!」(雪玉を投げる)
上原:「ちょっと!? いきなりは反則だって!」
一色:「俺の小さい頃には、そんなルールは無かったよ!」
上原:「あっそ。そっちがその気なら、私だって・・・。こう! なんだから・・・!!!」
一色:「うわっぷっ! ペペっ・・・! 口の中に雪、入った・・・!」
上原:「油断してるからよ! さぁ、どんどん、投げるわよ!!!」
一色:「次は、当たらないからな!」
上原:「さぁ、それは、どうか・・・しらね・・・!!!」(投げる)
上原(N):「私達は、まるで子供時代に戻ったかのように、夢中になって雪玉を投げた。
一生懸命、逃げ回る彼を見ながら、私は心の底から笑った・・・」
一色:「もう・・・、ギブ・・・!!! 俺の負けだよ~・・・!!!」
上原:「え~、もう少し、投げたかったのに~」
一色:「もう勘弁してくれ~・・・」
上原:「仕方ない・・・。じゃあ次は、雪だるま作ろう」
一色:「オッケー。あっ、でも雪以外の材料が・・・」
上原:「それなら大丈夫。はいっ、これ」
一色:「おっ、用意良いな」
上原:「直樹は胴体の部分の雪、お願いね。私は頭の分、集める」
一色:「胴体か・・・。それなら、これくらい必要かな。そ~れ~・・・!!!」
上原:「張り切って、滑らないようにね!」
一色:「わかってるよ!」
間
上原:「・・・よし、頭の分は、これくらいで、よしっ」
一色:「はぁ~! はぁ~! はぁ~! 胴体の分も、これで良いか・・・?」
上原:「もう・・・、幾ら何でも集めすぎ・・・。それじゃあ、バランス悪いでしょう・・・」
一色:「折角、集めたのに・・・」
上原:「よしっ、こんなものかな~。後は、枝刺して・・・、バケツを頭に被せて・・・、
目と鼻と口を・・・、付けて~・・・」
一色:「刺した枝に・・・、手袋を付けて。よしっ、完成・・・!!!」
上原:「・・・少し不格好だけど、それも味があって良し!」
一色:「大人になってから作っても、疲れるものだな・・・」
上原:「直樹・・・、それは雪、集め過ぎたからよ・・・」
一色:「それもそうか・・・」
間
上原:「ねぇ・・・直樹・・・」
一色:「ん・・・?」
上原:「来年のクリスマスも・・・、今日と同じように、二人で雪だるま、作りたいな・・・」
一色:「あぁ・・・」
上原:「それで、クリスマスケーキとかも、手作りで作って・・・」
一色:「・・・」
上原:「一緒に、笑いながら食べようね・・・!」
一色:「あぁ、そうしよう・・・」
上原:「この前は、ごめんね・・・。直樹に貰ったピアス・・・。私の家にあった・・・。
・・・私・・・、怖いの・・・。・・・直樹との思い出が、どんどん消えていくのが・・・。
・・・だからお願い・・・。残りの時間で、新しい思い出、沢山作って・・・」
一色:「悪い・・・。もう、限界だよ・・・」
上原:「直樹・・・、ごめん、流石に寒くなってきたよね・・・!? 早く家に戻ろう・・・」
一色:「そうじゃない・・・。俺、もう沙妃と一緒に居たくないんだ・・・」
上原:「どうして・・・?」
一色:「どうしてだって? 自分の胸に、手をあてて、よく考えてみろ・・・。
この前の診察後だって、俺、他の患者の前で、どれだけ恥をかいたと思ってるんだ・・・」
上原:「嘘よ・・・! あんなに私の事・・・、心配してたじゃない・・・」
一色:「あそこで、本当の事、言ったら、もっとお前は泣き叫ぶだろう・・・。だからだよ・・・!
それと悪いけど、もう一つ理由がある・・・」
上原:「え・・・!?」
一色:「言ってなかったけど・・・、俺・・・、他に付き合ってる人も居るんだ・・・」
上原:「嘘・・・」
一色:「嘘じゃなくて事実だ。沙妃の事も、好きだけど・・・、
まさか・・・、若年性アルツハイマーになるとは、全くの予想外だったよ・・・!
悪いけど・・・、俺、これ以上、重い展開は嫌なんだ・・・。
・・・この前のピアスで、これから先に対しても、不安だけが残ったよ・・・」
上原:「だって、俺が側にいるって・・・、言ったじゃない・・・!」
一色:「・・・あの時は、ああ言うしかなかったんだ・・・」
上原:「それじゃあ、全部、芝居だったの・・・!?」
一色:「俺なりの優しさだ・・・。・・・今日の最後の日も、綺麗な思い出で終わらす予定だったのに・・・。
沙妃・・・、お前の重い願いの連続で・・・、これ以上、耐えられなくなった・・・。悪いけど、これで終わりだ・・・」
上原:「酷いよ・・・。それなら、もっと早くに振ってくれたら良かったじゃない・・・!
どうして・・・、クリスマスイブ・・・、選んだのよ・・・!!!」
一色:「せめて・・・、良い思い出は、残してやりたかったんだよ。
一時の記憶で、全て忘れるだろうがな・・・。そんじゃあな・・・」
上原:「待って・・・! 行かないで・・・! 直樹・・・! 直樹・・・!!!」
一色:「沙妃・・・、放してくれ・・・」
上原:「一人になるのが怖いの・・・。お願いだから・・・、私を一人にしないで・・・!
お願いだから・・・、最後まで側に居てよ・・・!」(すがりつく)
一色:「・・・良いから、放してくれ・・・」
上原:「嫌・・・! 絶対に嫌よ・・・!」
一色:「沙妃・・・」
上原:「私、これからどうしたら良いの・・・。お願い・・・、私を一人にしないで・・・」
一色:「もう・・・、良い加減にしてくれ・・・!!!」(突き放す)
上原:「きゃあああああ・・・!」
一色:「じゃあな・・・。沙妃・・・」
上原:「嫌・・・、嫌よ・・・。お願いだから、幸せなクリスマスイブを返してよ~・・・!!!(泣き叫ぶ)
お願い・・・、戻ってきて・・・、直樹・・・」(倒れる)
細川:「上原さん・・・! しっかりしてください!!! 上原さん・・・!!!」
上原:「細川先生・・・。直樹が・・・。・・・直樹・・・」(気を失う)
細川:「上原さん・・・! 上原さん・・・!!!」
間
上原(N):「私は、絶望感に襲われた・・・。
人生、最後の恋だったのに・・・、こんな結末が待ってるなんて・・・。
神様・・・、私は・・・、前世で酷い事をしたのですか・・・?
答えてください・・・。・・・どうして・・・」
長い間(10秒ほど)
細川:「・・・一色さん。そろそろ来る頃だと思いました・・・」
一色:「・・・沙妃は、あれからどうなりましたか・・・?」
細川:「私がちゃんと家まで、送りましたよ」
一色:「そうですか・・・」
細川:「一色さん、よく頑張りましたね・・・」
一色:「細川先生・・・。これで、本当に良かったんですよね?」
細川:「辛い決断だと思いますが・・・、これで良かったんですよ・・・」
一色:「沙妃・・・」
細川:「・・・」
一色:「きっと今頃、沙妃は絶望の底にいます・・・」
細川:「続けて」
一色:「優しい沙妃を・・・、傷付けたくなかった・・・。
でも、ああでもしなければ、沙妃は、俺の事を諦めきれなかった・・・。
出来るなら・・・、綺麗に、お別れしたかったです・・・」
細川:「綺麗にですか・・・。例え、今は絶望の中に居るとしても・・・、
上原さんにとっても・・・、
・・・。
そして・・・、一色さんにとっても、一時の絶望感になります・・・。
これが、貴方方には、最善の方法だったと思いますよ・・・」
一色:「はい・・・」
細川:「・・・それでは、質問を始めます。・・・一色さん、昨夜は、何時に就寝されましたか?」
一色:「昨夜は・・・、午後11時に寝ました・・・」
細川:「次の質問です。一昨日の夕食は、何を食べましたか?」
一色:「一昨日は・・・、えっと・・・、確か・・・。・・・すみません、思い出せないです・・・」
細川:「結構ですよ」
間
一色(N):「細川先生に、いつも通り、質問をされてる間も・・・、沙妃の事が頭から離れなかった・・・。
苦しい・・・。辛い・・・。
沙妃より、進行は遅かったとはいえ・・・、俺の病気も・・・、着実に悪化して来ている・・・。
先生に、若年性アルツハイマーだと診断された翌日から・・・、車の運転も止めた・・・。
これから先・・・、今まで出来てた当たり前の事が、何もかも出来なくなる・・・。
その前に・・・、俺にはまだ、やり残した事がある・・・」
細川:「本日の診察は此処までにしましょう。薬もいつものように、2週間、処方しておきます。
次は2週間後に・・・」
一色:「細川先生・・・。折り入って、お願いがあります・・・」
細川:「何でしょう・・・?」
一色:「細川先生には、苦労をかける事になるのですが・・・」
細川:「それは、沙妃さんの為ですか?」
一色:「はい・・・」
細川:「宜しい・・・。御二人の幸せの為ならば、・・・私に出来る事ならば、力を尽くしましょう。
それが私の・・・、せめてもの罪滅ぼしです・・・」
一色:「本当に・・・、ありがとうございます・・・」
一色(N):「細川先生に、会釈をした後・・・、2階の喫茶店に向かった・・・。
そして、エスプレッソを頼んだ後・・・、あの窓側の席に向かう・・・。
席に着き・・・、エスプレッソを一口、飲むと・・・、
今の心境からなのか・・・、酷く苦い味が、口の中に広がった・・・。
あぁ・・・、こんなに苦かったのに・・・、沙妃は・・・。
あの時のやり取りが、蘇ってきた・・・」
間
一色:「・・・あっ、またエスプレッソ、飲んでたのか・・・。
いつも同じメニューで、よく飽きないな・・・」
上原:「直樹が美味しいから、飲んでみろって、私に勧めたんじゃない・・・!
そのお陰で、今では飲めるようになったのよ・・・」
間
一色:「沙妃・・・。こんな俺を・・・、許してくれ・・・!」
一色(N):「沙妃の事を思いながら・・・、残っていたエスプレッソを・・・、飲み干した・・・」
間
細川:(N)「上原さんと別れた直後から、一色さんの病状はみるみる悪化していった・・・。
そんな一色さんにも、ノートを進めたのだが・・・、一色さんは受け取らなかった・・・。
割り切っていたとはいえ・・・、上原さんの事を思い出すのが、辛かったのだろう・・・」
一色さんが私に頼み事をしてから、更に数か月が経過した・・・。
細川:「それでは、今日の診察を始めますね。
一色さん、昨夜の夕食は、何を食べましたか?」
一色:「・・・」
細川:「一色さん・・・、聞いていますか? ・・・一色さん・・・!」
一色:「・・・何ですか? 先生・・・」
細川:「昨夜の夕食、何を食べましたか?」
一色:「・・・昨夜ですか・・・。確か・・・・、あれです・・・。
あれ・・・? あれって、何だ・・・。
・・・。
あっ・・・、今日は良い天気ですね~・・・」
細川:「一色さん・・・」
一色:「先生・・・。今朝は何だか、良い夢を見たんです・・・」
細川:「どんな夢でしたか?」
一色:「雪だるま、作ってる夢でした・・・」
細川:「・・・そこには、一色さん以外に、誰か居たのですか?」
一色:「・・・わからないです。・・・でも、何だか楽しい夢でした~・・・」
細川:(N)「一色さんの表情を見た瞬間・・・、亡くなった親友を思い出した・・・。
私の事さえ、認識が出来なくなった親友・・・。
その姿を見るのが辛くて・・・、葬式の日まで、会いに行けなかった事を・・・、
私は・・・、ずっと後悔していた・・・」
一色:「先生・・・、何か悲しい事でもあったんですか? 涙が・・・」
細川:「最後まで、会いに行かなくて、すまなかった・・・」
一色:「え・・・?」
細川:「怖かったんだ・・・。俺の事を・・・、誰ですか? と、尋ねるお前の姿は見たくなかった・・・。
だから、最後の最後まで・・・、会いに行く事が出来なかった・・・!
今更、謝っても・・・、お前に許して貰えるなんて思ってない・・・!
でも、戻れるなら・・・、お前にもう一度会って、謝りたかった・・・。
本当に・・・、すまない・・・」
一色:「先生・・・」
細川:「すまかった・・・。許してくれ・・・」
一色:「誰の事か分からないけど・・・、そこまで後悔してるなら・・・、
気持ちは、その人に、届いてますよ・・・。
だから、元気出してください・・・。先生・・・」
細川:「一色さん・・・。ありがとうございます・・・」
細川:(N)「一色さんの、その時の言葉に・・・、私は救われた・・・。
そうだ、嘆いてばかりは居られない・・・。私に出来る事は、まだ残っている・・・。
そう・・・、約束を果たさなければ・・・」
長い間
(遠くに聴こえる波音)
(海沿いにある施設に、尋ねる細川)
上原:「あっ・・・先生・・・。こんにちわ・・・」
細川:「お元気にしてましたか?」
上原:「・・・今日は、波も静かで・・・、心地良いからか、体調も良いです・・・」
細川:「それは良かったです。その帽子も似合ってますね。・・・この施設にも、慣れましたか?」
上原:「はい・・・。皆さん・・・、親切で暮らしやすいです・・・」
細川:「そうですか。今日は・・・、貴女にお手紙を持ってきました・・・」
上原:「私に・・・ですか・・・?」
細川:「代わりに、読ませて頂いても、宜しいですか?」
上原:「はい・・・」
細川:「沙妃へ。・・・この手紙を読んでいる頃には、もう俺の事は覚えていないかもしれない・・・。
でも、どうしても君に、伝えなければ行けないことがある・・・。
俺は・・・、隠していたが、君と同じ、若年性アルツハイマーだ・・・。
本当は・・・、伝えようとも考えていた・・・。
でも・・・、怖かった・・・。愛している沙妃の事、覚えていられなくなる事が・・・、
耐えられなくて・・・、あのクリスマスイブの夜に・・・、君に嘘を付いて、別れを選んだ・・・。
もっと綺麗な別れ方もあったかもしれない・・・。でも、あの時の俺にはあれが精一杯だった・・・。
・・・例え、嘘だとしても・・・、愛している君を傷つけた事には変わりない・・・。
こんな愚かな俺を・・・、許してくれ・・・。
例え、病気が進行して、君の事が分からなくなっても・・・、俺は・・・、ずっと最後まで、君の側に居る・・・。
愛しているよ・・・。沙妃・・・」
細川:「手紙の内容は・・・以上です・・・」
上原:「・・・宛先は・・・、誰からですか・・・?」
細川:「・・・一色 直樹さんです」
上原:「・・・一色・・・、直樹・・・」
細川:「何か、思い出しましたか・・・?」
上原:「・・・すみません。・・・思い出せないです・・・」
細川:「そうですか・・・。今日は、貴女の言う通り良い天気だ。
良ければ、庭を一緒に散歩しませんか?」
上原:「はい・・・」
間
細川:「・・・良い景色ですね・・・。此処からの海も綺麗だ・・・」
上原:「・・・ええ。・・・あっ、大事な帽子が・・・!」(風で帽子が飛ぶ)
細川:「・・・いきなり走ったら、危ないですよ・・・!」
上原:「はぁ、はぁ、はぁ・・・。・・・あっ・・・、すみません・・・」
一色:「今日は・・・、風が強いので・・・、気を付けてください・・・」
上原:「そうですね・・・。気を付けます・・・。ご親切に、どうも・・・」
一色:「いいえ・・・。良いんですよ・・・。見てください・・・。
今日の海は・・・、いつも以上に・・・、何だか綺麗ですね・・・」
上原:「・・・言われてみたら、そうですね・・・。凄く・・・、綺麗・・・」
間
(遠くから、二人の様子を見ている細川)
細川:「一色さん・・・。貴方との約束、果たしましたよ・・・」
細川:「そうそう・・・。一色さん、私は貴方に嘘を付いていました・・・。
貴方が・・・、私に望んだように・・・、
実は、上原さんからも、同じように、手紙を預かっていたのです・・・。
クリスマスイブの数日後・・・、上原さんは、私の元に訪ねてきました。
彼女の必死の問いかけに・・・、私も根負けしまして・・・、
貴方も同じ病気の事・・・、傷付けて別れる方法を選んだ事・・・、伝えました。
暫く、彼女は泣き続けました・・・。泣くだけ泣いた後・・・、
私に、こう頼んできたのです・・・」
上原:「・・・細川先生、お願いがあります・・・。私の願いを・・・、叶えてください・・・」
細川:「これも運命なのでしょうか・・・。二人のお願いが一致していたなんて・・・。
残り僅かな時間なのは、決まっていますが・・・、どうか最後の時まで・・・、
二人が、一緒に幸せな時間を過ごせますように、願っています・・・。
それでは、上原さん、一色さん、お元気で・・・」
間
上原:「直樹へ。・・・同じ病気の事、先生から聞きました・・・。
あの時、辛い決断をさせて、ごめんなさい・・・。
でも、直樹の愛情が・・・、嘘じゃなくて、本当に良かった・・・。
この手紙を、細川先生から渡される頃には・・・、貴方も、私も・・・、
お互いの事、分からないかもしれない・・・。
貴方への愛情も・・・、その時には、もう残ってないかもしれない・・・。
それでも私は・・・、構わない・・・。
直樹と一緒の施設で・・・、綺麗な海を・・・、一緒に眺める事が・・・、出来たのなら・・・」
上原(N):「例え、お互いの事が分からなくても・・・、側に居れば・・・」
一色(N):「きっと、俺達は・・・、それだけで・・・、幸せだから・・・」
終わり
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