昼下がりの夜想曲 ~アモロサメンテ~
(ノクターン)
作者:ヒラマ コウ
登場人物
高崎 ノボル ・・・ 30歳 売れない画家の卵、何度もコンクールに応募するが落選してばかり。 ある日冴島と出会い
自分の代わりに絵を描いてみないかと誘われる。
冴島 ゆい ・・・ 35歳 有名な画家 気難しい性格で近寄りがたい雰囲気を普段は出している。
自分がアルツハイマーだと知り、自分の代わりに
絵を描いてくれる画家を探していた。
比率:【1:1】
上演時間 :【60分】
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高崎:「これで何度目の落選だろうか・・・。周りの同期に追い越されるたびに、
俺の心の中には、暗く、冷たい感情が増えていく・・・。
その感情は、時に人を傷つけたいとさえ思うようになり、
自分の感情をコントロール出来なくなってるのが怖かった。
消えたい・・・。どうして、素直に成功を喜べないのか・・・。
そんな感情がループしてるのが嫌で、近所の美術館に足を運んだ。
そこで彼女に出会ったのだ・・・」
冴島:「ねぇ、そこの貴方。絵は好き? 嫌い?」
高崎:「俺に聞いてるのですか?」
冴島:「貴方以外に誰がいると言うの? 良いから早く答えて」
高崎:「絵は・・・」
冴島:「どうしたの? 答えれないの?」
高崎:「・・・」
冴島:「もう良いわ・・・。もしかしたらと思ったけど、とんだ見込み違いだったようだわ」
高崎:「待ってください。絵ってなんなんですか・・・?」
冴島:「どういう意味かしら?」
高崎:「絵がなにかわからないんです。描いても描いても、答えは見つからない・・・。それどころか、苦しい時もあるし・・・」
冴島:「続けて」
高崎:「周りはどんどん評価されるのに、自分だけ置き去りにされてる感じがして、
そう思うと、描いてても胸が苦しいんです・・・。
まるで、鏡の前で醜い顔した自分を見るようで・・・」
冴島:「だから、さっきの質問に素直に答えれなかったのかしら?」
高崎:「・・・」
冴島:「どうやら図星だったようね。私もそんな時があったわ。描いてて、とてつもなく不安になるの。
今描いてるこの絵は、何を見てくれる人に伝えるのかって。
人によっては、この絵を見て不安な気持ちになるかもしれないし、
逆に幸福な気持ちになるかもしれない。絵ってね、描いてみないとわからないものよ。
その時の心情にも影響されるし、貴方の言った通り、私も自分の鏡だと思う」
高崎:「絵がお好きなんですね」
冴島:「勿論好きよ。今も昔もその部分は変わらない。だけど変わらないものなんてこの世界には無い事を思い知ったわ・・・。
ねぇ、さっきの質問に戻るけど、絵は好き、嫌い?」
高崎:「・・・好きです。自分には絵を描くしか取り柄がないので・・・」
冴島:「ならこう言うのはどうかしら? 私の代わりに貴方が絵を描くの」
高崎:「どういう事ですか?」
冴島:「自己紹介が遅れたわね。私は、冴島 ゆいと言います。絵が好きなら名前くらい聞いた事がないかしら?」
高崎:「あの有名な冴島さんですか?」
冴島:「ええ、そうよ」
高崎:「どうしてこんな自分に声かけたのですか!? 俺からしたら、雲の上の存在ですよ・・・」
冴島:「しいて言うなら、この絵かな。この絵ね、私も好きなの。その大好きな絵を熱心に見つめてる貴方を見て、
この人なら私の願いを叶えてくれるかもって思った。それが声かけた理由よ」
高崎:「さっきの提案ですが、本当に俺で良いのですか?」
冴島:「ええ。自分の直感を信じるわ」
高崎:「わかりました。よろしくお願いします」
冴島:「貴方に才能があるかどうかは今は問わない。でもこれだけは忘れないで。絵は貴方を裏切らない。
信じていれば、必ず道は開けるわ」
高崎:「はい」
冴島:「それじゃあ、早速明日の朝から宜しくね。これが家の住所と携帯番号だから、
もし道に迷ったら電話して。じゃあね」
高崎(N):「それが彼女との初めての出会いだった。テレビで観る彼女は、人を寄せ付けないオーラを感じたのだが、
あの美術館で会った時にはそのオーラは感じなかった。それどころか、どこか儚さを感じた・・・。
その理由を知るのはもっと先になってからだった・・・」
(翌日、冴島の家を訪ねる高崎)
冴島:「早かったわね。良いから遠慮せずにあがって。荷物はその棚に置いて頂戴。
そうね、まずはお茶でもどうかしら?」
高崎:「いただきます」
冴島:「そこのソファーに適当に腰かけてちょうだい。実は今日ね、貴方が来るか正直不安だった・・・。
だって、いきなりの提案だったじゃない?
だけど、貴方はこうして来てくれた。嬉しいわ」
高崎:「昨日の提案について、詳しくお話聞かせてもらえますか?どうして、こんなにも有名な貴方が、
俺を選んだのです。他にも有名な画家は沢山・・・」
冴島:「貴方の言う通り、初めはそれも考えたわ。だけど、決心はつかなかった。誰でも良いってわけじゃないのよ。
本当に心から絵が好きな人じゃ無ければ嫌なの。真っ直ぐに絵に向き合える人じゃないと・・・。
そんな時に、貴方と出会った。だから決めたのもあるわ。それとね・・・」
高崎:「他にも理由があるのですか?」
冴島:「これから話す理由のほうが重要なの。私はね・・・若年性アルツハイマーなの・・・。
初めは些細なきっかけだった。日々生活してる中で、物忘れが酷くなったのを感じた。
窓の閉め忘れ、車の施錠、電気の付けっぱなし、調味料の蓋の閉め忘れ・・・
そんな事が続いてる内に、不安になり医者に診察に行ったわ。
そしたら、いくつかのテストをされて、その診断結果が若年性アルツハイマーだった。
医者に診断されてから、1ヵ月程経ったわ。初めはあまりのショックで何も考えられなかった・・・。
だけど、それじゃ駄目と気付いたのよ。私は画家。生きてる間に、作品を残す使命がある」
高崎:「強い心を持っているのですね」
冴島:「強いかどうかはわからない。描かなきゃ行けないという意思が、今の私を突き動かしてるだけかもしれないわ。
改めて問うわ。こんな私でも、力を貸してもらえるかしら?」
高崎:「・・・」
冴島:「返事が無いと言う事は駄目って事ね。無理はないわよね・・・。この病気は治療法も見つかっていないし、
症状が悪化すれば、貴方に迷惑をかけるかもしれない。残念だけど他を・・・」
高崎:「どこまで力になれるか、わかりませんが、こんな俺でも良ければ、冴島さんの作品を生み出すお手伝いをさせてください」
冴島:「本当に良いの? それで後悔しない?」
高崎:「後悔はしません」
冴島:「わかったわ。じゃあ、早速始めるわよ。まずは、貴方の絵を見たいわ。そこのフルーツを描いてみて」
高崎:「わかりました」
冴島:「画材は此処に置いてあるものを自由に使って良いわ」
高崎:「ありがとうございます」
冴島:「じゃあ、始めて頂戴」
間
冴島:「良いわその調子、全体のバランスも良いし、後は繊細なタッチかしら。もっと鉛筆を持つ指に意識を集中して」
高崎:「こうですか?」
冴島:「ええ。その集中力をキープし続けて」
高崎:「はい・・・」
冴島:「どうしたの? 少し疲れたかしら?」
高崎:「いいえ。まだ大丈夫です・・・」
冴島:「貴方、嘘が下手ね。少し休憩しましょう」
高崎:「すみません・・・」
冴島:「今考えてる事、当てましょうか? こんなにもデッサンが疲れるなんてって思ってる?」
高崎:「はい・・・。正直、手がつりそうです・・・」
冴島:「無理も無いわね・・・。根を詰めれば良い絵が描けるって物でもないわ。
今日はこの辺にしときましょう。気晴らしに散歩でも行きましょうか?」
高崎:「散歩ですか?」
冴島:「ええ。お昼時を過ぎた所だし、それに今日は良い天気だわ。外の景色を見るのも勉強になるのよ」
高崎:「わかりました」
冴島:「そうと決まれば、行くわよ」
高崎:「はい」
間
冴島:「此処はいつ来ても心が落ち着くわ。初めて来た感想はいかがかしら?」
高崎:「とても気持ちの良い所ですね。森林の中に差し込む太陽の光が幻想的で、そして心地いいです」
冴島:「気に入ってもらえたようね。どう、これからも続けて行けそう?」
高崎:「絵を描くことですか?」
冴島:「ええ、そうよ。描いてて、段々と険しい表情になってくもんだから、少し心配になったわ」
高崎:「すみません。長時間集中して描いてると、段々とああなっちゃって・・・」
冴島:「少しずつ慣れるといいわ。その為にはこれからも、どんどん描き続けること」
高崎:「はい。あの、1つ質問して良いですか?」
冴島:「良いわよ」
高崎:「冴島さんは、どうして画家になったのですか?」
冴島:「難しい質問ね・・・。しいて言うなら、表現をするのが好きだったかしら?
小さい頃から、気になるものとか、気付いたら、絵に描いてたわ。
それがきっかけだったのだと思う」
高崎:「昔から才能があったのですね」
冴島:「才能かどうかはその時には、まだわからなかった。だけど、絵を描くのが楽しかった。
それは今でも覚えているわ。貴方はどうして画家になりたいの?」
高崎:「自分も絵を描くのが好きだからだと思います。気付いたら、画家を目指してました」
冴島:「そう・・・。きっかけなんて、そんなものよね。」
高崎:「そうですね。でも、そのきっかけから、こうして立派な画家になった冴島さんは尊敬します」
冴島:「運が良かっただけかもしれないわ」
高崎:「そんな事ないですよ! 俺は、冴島さんの作品、好きです。
見てて心が落ち着くと言うか・・・。とにかく心が動かされるんです」
冴島:「ありがとう・・・。こうして、好きと言ってくれる1人と出会えて、私は幸せものね。
そういえば貴方の名前まだ聞いてなかったわね。
名前、教えてもらえるかしら?」
高崎:「俺は高崎です。高崎 ノボル」
冴島:「高崎 ノボルね。覚えたわ。さてと、そろそろ戻りましょうか」
高崎:「はい」
高崎(N):「こんな細やかな幸せを感じてるいる間も、彼女を蝕む病は進行していた・・・」
冴島:「えっ・・・? どうして・・・」
高崎:「どうかしたのですか?」
冴島:「ごめんなさい・・・。帰る道がわからなくなって・・・」
高崎:「道に迷った感じですか?」
冴島:「ええ・・・。こんな事初めてよ・・・。大丈夫、待ってね・・・。すぐに思い出すから・・・。
嗚呼ぁ! わからない・・・! どうしてなの・・・!」
高崎:「冴島さん、落ち着いてください」
冴島:「そうね・・・。落ち着いて考えたら思い出すはず・・・。駄目・・・。思い出せない・・・」
高崎:「俺に任せてください」
冴島:「・・・」
高崎:「此処・・・そうだ・・・。確かに、通った記憶がある。冴島さん、こっちです」
冴島:「ええ」
間
高崎:「良かった。元来た道だ。戻って来れましたね」
冴島:「そうね・・・。此処から先は大丈夫よ。戻りましょう」
高崎:「はい」
間
冴島:「今日は本当ごめんなさい・・・」
高崎:「どうして謝るのですか?」
冴島:「森で迷ったのは私のせいだから・・・」
高崎:「冴島さんは悪くないです。今日はゆっくり休んでください」
冴島:「ありがとう・・・。そうするわね・・・」
高崎:「それじゃあ、また来ます。おやすみなさい」
冴島:「ええ。おやすみなさい」
高崎(N):「この森での出来事がきっかけとなったのか、冴島さんからの連絡が来なくなり、
1週間が経った。心配になり、電話をかけようか迷ったが、相手は有名な画家、
急に忙しくなり、連絡出来なくなったのかもしれないし、連絡が来るまで待つことにした」
(病院に定期診察に来てる冴島)
冴島:「先生、こんにちわ。実は、いつも気晴らしに行く森で道に迷いまして・・・。
これもアルツハイマーが原因なのでしょうか・・・?
今までこんな事、一度も無かったので、不安で不安で・・・。
簡単なテストですか? わかりました。お願いします。
昨日の夕飯ですか?
確か・・・昨夜はお味噌汁と、焼き魚と、卵焼きでした・・・。
次は一昨日の夕食ですか・・・?
一昨日は・・・確か、煮物と・・・他には・・・。すみません・・・他は思い出せません・・・。
そうですか・・・。私は、この先一体・・・。
そうですよね・・・。マイナスな感情にとらわれ過ぎました。
すみません・・・。先生、今日はありがとうございました・・・。
次回の診察もよろしくお願いします・・・」
(病院の帰り道、1人悩みながら歩く冴島)
冴島(M):「怖い・・・。どんどん自分が自分で無くなっていくのがわかる・・・。
どうして私なの・・・?
私にはまだやらないといけない事が沢山あるのに・・・」
高崎:「冴島さん」
冴島:「高崎君・・・。奇遇ね・・・」
高崎:「はい。冴島さん、何かあったのですか?」
冴島:「どうしてかしら?」
高崎:「顔色がなんだか悪いので気になりました」
冴島:「少し歩き疲れたみたい。良かったら、どこかで休憩でもどうかしら?」
高崎:「それなら、そこの先におすすめのカフェがあるので、そこに行きましょう」
冴島:「わかったわ。案内よろしくね」
間
冴島(M):「カフェへの道中、彼は色々話しかけてくれた。だけど私は、さっきの診察結果で
頭がいっぱいだった・・・。そうして悩んでる中、カフェへと到着した」
間
高崎:「何にしますか?」
冴島:「高崎君は決まったの?」
高崎:「俺はブレンドコーヒーとツナサンドにします」
冴島:「じゃあ私は、同じくブレンドコーヒーと玉子サンドにするわ」
高崎:「わかりました。すみません! 注文良いですか?」
冴島(N):「注文をしてくれてる間も、私はさっきの医者の言葉を脳内で繰り返していた・・・。
どれくらい経っただろう。そんな私を心配して彼は再び聞いて来た」
高崎:「本当に大丈夫ですか? 何か深刻な顏してますよ」
冴島:「あのね・・・。さっき病院の定期診察に行ってきたの。その結果が良く無くて、それで色々考えてたわ」
高崎:「そうでしたか・・・。それで検査結果は?」
冴島:「前回の検査より悪化してるそうよ・・・」
高崎:「・・・」
冴島:「ねぇ? どうして私なの・・・。私は何も悪い事してないのよ・・・」
高崎:「冴島さんは悪くないです」
冴島:「嘘・・・。じゃあ、誰が悪いのよ!私自身の行いが悪いから、こうなったのでしょ!
変な慰めはよして!」
高崎:「すみません・・・。だけど、こればかりはどうしようも・・・」
冴島:「そうよね・・・。ただ運が悪かっただけなのよね・・・。怒鳴ったりして悪かったわ・・・。
だけど、このどうしようもない怒りは、誰に向ければ良いのかわからない・・・。
頭の中がぐちゃぐちゃよ・・・」
高崎:「それなら、俺に向けてください」
冴島:「何をするかわからないのよ?」
高崎:「どんな事でも、俺が受け止めます」
冴島:「きっと後悔するわ・・・」
高崎:「後悔なんてしません」
冴島:「これから先の悲惨な未来が見えて無いから、簡単にそんな事が言えるのよ」
高崎:「それでも俺は、貴女の側を離れません」
冴島:「どうして?」
高崎:「初めて出会ったあの美術館から、惹かれていました」
冴島:「・・・」
高崎:「俺は・・・冴島さんの事が・・・」
冴島:「ストップ! 今はその先は言わないで。言ったら、きっと貴方は後悔する日が来るわ・・・」
高崎:「冴島さん・・・」
冴島:「明日、夜に家に来て。私に残された時間は無いの・・・。
悪いけど、コーヒーとタマゴサンドはテイクアウトにするわ。
それじゃあ、また明日、アトリエで」
高崎(N)「そう言い残すと、彼女はそそくさとお店を出ていった。どうして俺はあの時、告白をしようとしたのか。
彼女の抱えてる気持ちを考えずに、俺はただ我儘を言う子供のようだった・・・」
(翌日の夜、冴島の家を訪ねる高崎)
冴島:「待ってたわ。中に入って」
高崎:「冴島さん、昨日はすみませんでした」
冴島:「どうして謝るのかしら?」
高崎:「それは・・・あの時はあまりに自分勝手でした・・・。冴島さんの気持ちも考えずに・・・」
冴島:「確かにそうね・・・。だけど、嫌ではなかったわ・・・」
高崎:「それって?」
冴島:「私も、あの美術館で声をかけた時から、好きだったのかもしれない・・・。
そして、この前、森林で道に迷った時の高崎君の心強さに、凄く安心したのも事実よ。
だけど、これが恋なのかは、まだわからないわ。
だから、返事はまだ待ってもらえるかしら?」
高崎:「勿論、それで良いです」
冴島:「ありがとう。それでね、高崎君に描いてもらおうと考えてる絵はね、私の肖像画よ。
私を好きでいてくれる貴方なら、素晴らしい絵が描けると思うわ。
そして、私がこの世にいた証明にもなると思うの。お願いできるかしら?」
高崎:「はい。精一杯、描かせていただきます」
冴島:「嬉しいわ。じゃあ、早速始めるわよ。着替えてくるから準備して待ってて」
(アトリエで、冴島を待つ高崎)
高崎(M):「どれくらい待ったのだろう。戻って来た彼女は純白のドレスを着ていた。
その姿は、夜の月明かりに照らされて、何とも言えない美しさだった」
冴島:「どう? 似合うかしら?」
高崎:「ええ、とっても・・・」
冴島:「良かったわ。じゃあ、どうすれば良いか、指示を頂戴」
高崎:「そうですね。そこの椅子に座って、目線はバルコニーに向けてください」
冴島:「わかったわ。その前に、音楽を流していいかしら?」
高崎:「構いませんよ。どんな曲ですか?」
冴島:「この曲よ、御存知かしら?」
間
高崎:「ショパンですか?」
冴島:「ええ、その通りよ。ショパンのノクターン・・・。
絵を描く時は必ず流しているのよ。聴いてるとね、心が安らぐの・・・」
高崎:「良い曲ですね。穏やかな気持ちになります」
冴島:「気に入ってもらえたようで良かったわ。じゃあ、始めましょう」
高崎:「はい」
間
冴島:「このドレスね。次の絵の発表会で着る予定だったのよ。
それが、肖像画の為になるなんて、あの時は思いもしなかった。
だけど、今はこうなって良かったと思ってるわ」
高崎:「どうしてですか?」
冴島:「あら? 簡単な事よ。わからないのかしら?」
高崎:「わかりませんね」
冴島:「それは、こうして貴方に絵を描いてもらえるからよ」
高崎:「本当はわかってました。ただ、それを冴島さんの口から聞きたかったんです」
冴島:「もう、意地悪なところもあるのね」
高崎:「ええ」
冴島:「そこは謝るところでしょ?」
高崎:「そうですか?」
冴島:「そうよ」
高崎:「すみません」
冴島:「ふふっ、許すわ。どう? 上手く描けてるかしら?」
高崎:「どうでしょう。それは完成してからのお楽しみと言う事で」
冴島:「わかったわ。だけど、完成を見れるのかしら・・・。この絵が完成してる時に私は・・・」
高崎(N)「そう言って、体を震わせている彼女を見た瞬間、気付いたら俺は彼女を抱きしめていた」
冴島:「高崎君・・・。お願い・・・離して・・・」
高崎:「嫌です・・・。もう少しこのままでいさせてください・・・」
冴島:「わかったわ・・・」
高崎:「冴島さんが生きている間に、この絵は完成させます・・・。だからそんな悲しい事は言わないでください」
冴島:「ええ・・・」
高崎:「少し落ち着きましたか?」
冴島:「高崎君のおかげね。さっきまでの不安が嘘のように消えて言ったわ。
本当は私・・・、怖くてたまらないの・・・。
自分が自分じゃなくなるのを感じる時もあるわ・・・。
このまま、全ての記憶が消えたら・・・
私はその時、元の私でいられるの・・・?
アルツハイマーは、症状がどんどん悪化して、
もって3年の命・・・。経った3年よ・・・。
全ての記憶が消えるまで、どのくらいかかるかわからない・・・。
記憶が消えた後の人生はどうなるのか不安で堪らないわ・・・」
高崎:「冴島さんの不安、怒り、悲しみ、全て俺にぶつけてください。1人で抱え込まないで。
重みになんて感じません。これから先も俺はずっと側にいます」
冴島:「高崎君・・・」
冴島(N):「気付くと、私は、彼の唇に自分の唇を重ねていた。部屋中に響いてるノクターンの激しい旋律のように
激しく何度も・・・」
冴島:「高崎君・・・。もっと私を感じて・・・」
高崎:「冴島さん・・・」
冴島:「ゆい よ。名前で呼んで頂戴」
高崎:「ゆい・・・」
冴島:「その調子よ。ノボル。もっと私の名前を呼んで・・・」
高崎:「ゆい・・・。ゆい・・・。ゆい・・・。好きだ・・・」
冴島:「私も好きよ・・・。ノボル・・・」
間
(アトリエ内にあるソファーに倒れ込む2人)
高崎:「本当に良いのですか?」
冴島:「女に恥をかかせないで。こういう時は、上手くリード出来ないと駄目よ」
高崎:「そうなのですが・・・」
冴島:「もしかして経験が無いの?」
高崎:「経験はあります! だけど、上手く出来るか自信がありません・・・」
冴島:「どうして?」
高崎:「抱いた女性に、次は無いと言われた経験が・・・」
冴島:「それで、それ以来、怖くて無理ってわけ?」
高崎:「はい・・・」
冴島:「情けないわね・・・。じゃあ聞くけど、さっきの大胆さは、どう説明するのよ?」
高崎:「あれは・・・。不安そうな冴島さんを見ていたら、無意識に体が動いて・・・」
冴島:「気付いた時には、私を抱きしめていた?」
高崎:「そうです・・・」
冴島:「なるほどね。でもそれで良いんじゃないの?」
高崎:「どういう意味ですか?」
冴島:「わからない? 相手を抱きしめたいと思ったのなら、それは、貴方自身が相手を心から思って行動した証拠よ。
まぁ、その場の勢いでキスしちゃった・・・私が言うのもなんだけど・・・。
だけど勘違いしないで聞いてね!
さっきのキスは、高崎君が男らしく見えて、胸がドキドキして、キスしたいと思ってってのもあるんだから・・・」
高崎:「それって・・・?」
冴島:「この鈍感! 私も高崎君の事が好きだと気付いたからよ!」
高崎:「・・・」
冴島:「ちょっと、何黙ってんのよ? 何か言いなさいよ!」
高崎:「(大笑い)」
冴島:「何がおかしいのよ!?」
高崎:「いや・・・顔を真っ赤にして、思わぬ可愛い事いうから、正直、ギャップ萌えですよ」
冴島:「なんかムカつくわ・・・。でも許してあげる」
高崎:「ありがとうございます」
冴島:「私が言いたいのは、ようするに心が思ったままに行動すれば良いって事よ。
いちいち、気持ちよくなってくれてるかな?とか、SEXしてる時に考えないでしょ?」
高崎:「それもそうですね」
冴島:「わかればよろしい。じゃあ、気を取り直して・・・」
高崎:「わかりました・・・」
(部屋を暗くして、お互い着ている服を脱ぎ、裸でベッドに向かう2人)
間
冴島:「ノボル・・・。好きよ・・・。私はまだ真っ白なキャンパス・・・。
貴方の中にある色で・・・私を染め上げて」
高崎:「ゆいは・・・真っ白で本当に綺麗だ・・・。俺色に染めたら、どんな美しさを放つのだろうな・・・」
冴島:「焦らないで、少しずつ私を感じて・・・染めていって・・・。そう・・・その調子よ・・・。
ノボルだけの色が・・・浸透していくのがわかる・・・」
高崎:「ゆいの中に、俺の色が・・・。俺達、混じりあって・・・。一つに・・・」
冴島:「もっとよ・・・。もっと情熱的に染め上げて・・・」
高崎:「ゆい・・・。俺にもっと真っ白な心を曝け出して・・・」
冴島:「ノボル・・・。お願い・・・。言って・・・。私の事・・・好き・・・?」
高崎:「好きだよ・・・」
冴島:「ねぇ、私の事・・・愛してる・・・?」
高崎:「あぁ、愛してるよ・・・」
冴島:「私の腕を離さないで・・・。私の声・・・私の姿を忘れないで・・・」
高崎:「ゆいの事を忘れる事なんて・・・出来ない・・・」
冴島:「嬉しい・・・。愛してるわ・・・。ノボル」
高崎:「愛してる・・・。ゆい」
間
冴島:「『何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう』
有名な画家、ゴッホは言ったわ。
これまでの人生で、一度も後悔しなければ、画家にもならなかっただろうし、
こうしてノボルとも巡り合う事は無かった・・・。
私は・・・この病気が怖いし、憎い・・・。だけど・・・感謝もしてるの・・・。
貴方とあの場所で出会うきっかけになったのだから」
高崎:「ゆい・・・」
冴島:「さっきも、ノボルの素直な気持ちが伝わってきて、嬉しかった・・・」
高崎:「俺も、ゆいの気持ちが伝わって、幸せを感じた・・・。
ゆいのお陰で、負の感情が浄化されて、幸せが満ちていくのがわかる」
冴島:「私もよ・・・。でも・・・私達一体、この先いつまでこうして、愛を確かめあえるのかしら・・・?」
高崎:「それはわからない・・・。だけど、俺は変わらずに、ゆいを愛し続けるよ」
冴島:「そうなると嬉しい・・・。ねぇ、ノボル、腕枕して」
高崎:「良いけど、眠くなった?」
冴島:「ううん・・・。ただそうして欲しいだけ」
高崎:「甘えん坊だな・・・」
冴島:「2人っきりの時くらい良いじゃない」
高崎:「わかったよ。ほらっ、おいで」
冴島:「ありがとう・・・ノボル」
高崎:「どういたしまして」
冴島(N):「私はこの時、彼に嘘をついた・・・。
本当は、今のこの幸せの時間を失いたくなかったのだ。
彼に腕枕をしてもらう事で、その不安から逃れようとしたのだけど・・・。
彼とこの先も、ずっとこうしていたい・・・。だけどその夜から、月日が経つにつれ、
そんなささやかな願いさえ、神様は許してくれなかったのだ・・・」
(あれから半年が経ち、絵の下書きは完成した。だが、冴島の症状は日に日に悪化していく)
冴島:「この半年の間、ノボルは頑張ったわ。ようやく下絵は完成ね」
高崎:「ゆいのおかげだよ。こうして、頑張れたのは」
冴島:「ノボル自身の才能よ。自信を持って。じゃあ、珈琲を入れるわね」
高崎:「ありがとう」
間
冴島:「お待たせ」
高崎:「あぁ」
冴島:「味はどう?」
高崎:「これは・・・」
冴島:「どうしたの?」
高崎:「いや、なんでもない。美味しいよ」
冴島:「ちょっとそのカップ貸して・・・」
高崎:「大丈夫、どこもおかしく・・・」
冴島:「良いから! いう通りにして!」
高崎:「・・・」(黙って差し出す)
冴島:・・・これは、ただのお湯じゃない・・・! そんな・・・。珈琲豆は、ちゃんと入れたはずなのに・・・」
高崎:「ゆい・・・少し疲れてるんだ。俺が代わりに煎れようか?」
冴島:「いいえ、駄目よ・・・。私にもう一度やらせて・・・」
高崎:「だけど、疲れてるのもあるだろうし・・・」
冴島:「ノボル、お願い・・・」
高崎:「・・・わかった」
冴島:「ごめん・・・。入れ直してくる・・・」
間
高崎(M):「あれから10分以上経つけど、様子を見に行った方が良いだろうか?」
高崎:「おーい、珈琲は煎れられたかい?」
高崎(N):「返事が無いのを不安に感じた俺は、キッチンに向かった。
キッチンに行くと、そこには泣き崩れている彼女の姿があった・・・」
冴島:「どうして・・・。たかが珈琲を煎れるだけじゃない・・・。
なのに、どうして・・・そんな簡単な事が出来ないの・・・」
高崎:「ゆい・・・」
冴島:「私ね・・・。珈琲豆の置いてる場所が思い出せないの・・・。
ノボルの大好きなあの珈琲豆・・・。どうして・・・。
珈琲フィルターも、何処にあるのか思い出せない・・・。
昨日までは、ちゃんと覚えてたはずなのに・・・。思い出そうと何度も必死に・・・」
高崎:「ゆい、少し落ち着け・・・。まずは深呼吸するんだ・・・」
冴島:「ノボル・・・。私・・・」
高崎:「珈琲は俺が煎れるから、ゆいはリビングで待ってて。良いね」
冴島:「わかったわ・・・。お願いね・・・」
高崎(N):「彼女の力なくリビングに移動する姿を見て、俺は、このままじゃ行けないと感じた。
翌日、彼女が起きる前に、考えてる事を俺は実行した」
冴島:「ん~、もう朝なの・・・?」
冴島(M): 「体、全体が重い・・・。私、どのくらい寝てたのだろう・・・。
昨夜の珈琲では、ノボルに心配させちゃった・・・。このままじゃ駄目・・・。
もっと、頭を使って、忘れないようにしないと・・・。
ノボルにばかり頼ってたら、私はいずれ・・・」
高崎:「これで全て完了っと・・・」
高崎(M): 「昨夜の、ゆい・・・。かなり動揺してたな・・・。
あんな事が続いたら、どんどん、ゆいは壊れておかしくなっていく・・・。
駄目だ・・・。俺がもっとしっかりして、守っていかなくちゃ!
その為には、この方法が一番なんだ!」
冴島:「おはよう、ノボル。これって・・・」
高崎:「おはよう、ゆい。驚いたかもしれないが、これはだな・・・」
冴島:「冷蔵庫に、棚に、食器棚、リビングにもこんなに・・・」
高崎:「ごめん。昨夜の、ゆいの姿を目の当たりにして、色々と考えたけど、やはりこうするべきだと思ったんだ・・・」
冴島:「どうして勝手に・・・? 私は・・・。ここまでおかしくなってないわ・・・!?」
高崎(N):「そう言った後に、彼女は、彼女の為にと考えた付箋やメモ書きを、剥がしてズタズタに引き裂いた・・・」
高崎:「おい! ゆい、何をするんだ・・・! 止めるんだ! それが無いと、これから、ゆいが困るんだぞ!」
冴島:「ノボルこそわかってない! どうして、私をもっと信じてくれないの?
そんなに、昨夜の事が嫌だった? 惨めに見えた?」
高崎:「そうじゃない! 俺は、ゆいの事が心配でたまらなくなって・・・」
冴島:「心配・・・? あぁ、そうよね・・・。この先、私が料理してて、包丁の使い方も忘れて、
投げつけたり、落としたりするかもしれないわよね!」
高崎:「そんな事にはならないし、俺がその時は全力で止める」
冴島:「無理よ・・・。その時の私は、ノボルの好きな私でないのかもしれないし・・・
ノボルの事さえわからないのかもしれないのよ!
そうなったら、私自身もノボルを傷つけても平気かも知れないし、
そんな自分を考えるのも想像するのも嫌なの!」
高崎:「落ち着くんだ! まずは冷静にならないといけない・・・」
冴島:「冷静になったら、この病気は治るの!? 治るのならいくらでも冷静にでもなんでもなるわよ!」
(そう言うと次の瞬間、冴島はキッチンの包丁を手に取る)
高崎:「包丁なんて持ってどうするんだ!?」
冴島:「もう嫌なの!? これ以上、自分じゃなくなるのを耐えられない! お願いだから・・・もう死なせて!!!」
高崎:「馬鹿を言うんじゃない! 今、死んだら、あの絵はどうなる!? 完成するのを見るんだろう?」
冴島:「絵は・・・。あぁ・・・! わからない・・・。どうして・・・。私・・・包丁を・・・。
一体なんなの!!! ・・・怖い。・・・!!! 誰か助けて!!!」
高崎:「ゆい・・・!!!」
冴島:「駄目! 来ちゃ駄目よ! ノボル!!!」
間
冴島:「血・・・。ノボルッ! ・・・どうしてこんな無茶を・・・」
高崎:「気づいたら動いてた・・・」
冴島:「ノボルの大事な手が・・・」
高崎:「絵を描く手とは違うし・・・傷も浅いよ」
冴島:「ごめんなさい・・・。私が錯乱したばかりに・・・」
高崎:「ゆいが怪我しなくて本当良かった・・・」
冴島:「ノボル・・・」
冴島(N):「私は・・・大事な彼をとうとう傷つけてしまった・・・。
後悔をしても、あの朝には戻る事は出来ない・・・。
ううん、違う。今の私は・・・後悔すら出来なくなっている・・・。
あれから、更に半年の月日が流れ、彼と出会ってから、1年が経過した・・・。
そろそろ、限界なのかもしれない・・・。そう思った私はある決断をした」
(ドアをノック後、アトリエに入ってくる冴島)
冴島:「作業の途中にごめん・・・。ちょっと今良いかしら?」
高崎:「良いけど、改まってどうした?」
冴島:「この絵の完成まで、あと数か月という所ね。本当にこの1年、ノボルは頑張ったわ」
高崎:「ゆいが一緒に頑張ってくれたから、此処までこれたんだ」
冴島:「そうね・・・。此処まで来るまでに色んな事があったわね・・・」
高崎:「そうだな・・・」
冴島:「だけど、そんな日々も、今日でおしまい。ノボル、別れましょう・・・」
高崎:「何を言い出すんだ? 絵も完成間近だし、ゆいの調子もここ数ヵ月良かったじゃないか?」
冴島:「だからよ・・・。ノボルの事を覚えていられる、今だからこそ、ちゃんとお別れをしたいの・・・。
それに・・・ノボルには気づかれないように頑張ってたのだけど、そろそろ限界・・・。
私ね・・・。この前、ノボルが作って冷蔵庫に入れてくれてた、グラタンを・・・温めずに食べたの・・・。
それだけじゃないわ・・・。その時に、フォークも使わずに手で、まるで赤ちゃんのように食べてたわ・・・」
高崎:「そんな事があったなんて・・・」
冴島:「我に返った時に、思った・・・。こんな惨めな姿をこの先もノボルに見せたくないって・・・。
だからお願い・・・。別れましょう・・・。それが2人の為には最善なのよ・・・」
高崎:「別れた後、ゆいはどうするんだ・・・?」
冴島:「私の事は心配しなくて良いわ・・・。ノボルにも、他の人にも迷惑かけないようにする為に、もう決めてあるの」
高崎:「何をだ・・・?」
冴島:「施設に入るの」
高崎:「何処の施設だ?」
冴島:「それを言ったら、ノボルは優しいから会いに来るでしょう?
それじゃあ、駄目なの。だから、何処にあるのかは教えないわ」
高崎:「そんな・・・。俺はどうしたら良い? ゆいを失ったら俺は・・・」
冴島:「ごめんなさい・・・。でも、これ以上、ノボルに迷惑かけたくないのよ・・・!
ノボルとこのまま居続けたら、私は、ノボルの優しさに甘えてしまう・・・」
高崎:「存分に甘えれば良い! それがどうしていけないんだ!?」
冴島:「お願いだから・・・。綺麗な私のままで、ノボルの記憶にとどめさせて・・・」
高崎:「俺はそんなの・・・」
冴島:「絵は、ノボルの家に後で送っておくわ。最後まで完成させてね。約束よ」
高崎:「あぁ・・・」
冴島:「ありがとう・・・」
高崎:「じゃあ、さようなら。ゆい・・・」
冴島:「さようなら。ノボル・・・」
(立ち去ろうと玄関に向かった高崎を、呼び止める冴島)
冴島:「待って! ノボル!」
高崎:「どうしたんだ?」
冴島:「最後にもう一度、抱きしめて。それで最後。お願い・・・」
高崎:「わかった・・・」
冴島:「もっときつく抱きしめて・・・。私の記憶が例え消えても、心には残るくらい・・・」
高崎:「あぁ・・・。俺もゆいの事は忘れない・・・」
冴島:「ありがとう・・・。ノボル・・・」
冴島(N):「こうして私は、彼と別れ、海沿いの小さな施設に入った。
彼の事を徐々に忘れるだけでなく、何もかも忘れていくのがわかる・・・。
だけど、前のような不安や怖さはもうない・・・。
だって、記憶は全て消えても、私にはあの最後の夜、彼に抱きしめられた
ぬくもりが今も心に残っているのだから」
高崎(N):「あれから気付けば2年の歳月が経っていた。あの1年間の出来事は今では
夢だったようにも思える時がある。だけど、確かな現実だと思い出させてくれるのは、
この肖像画が、こうしてあるからなのだ。この絵のおかげで、俺は賞を受賞し、有名にもなれた。
そして、今日はそんな自分の初めての展覧会の日だ」
高崎:「御集りの皆様、本日はこうして、私の絵を見に来てくださり、光栄に思います。
思えば私は、売れない画家でした・・・。
そんな葛藤の日々を続けている中、ある一人の女性と出会い、
運命の悪戯からか、その人の元で絵を描くことになりました・・・。
この絵はそんな彼女を描いたものです。
そして私がこうしてデビューするきっかけにもなった大事な絵です。
挨拶が長くなりましたが、本日はどうか、存分に堪能して行ってください」
高崎(N):「挨拶をおえて、会場を回っていると、ふと後ろから声をかけられた。
振り向いた先にいたのは・・・彼女だった。
その姿は一瞬、当時の年齢から考えても、
かなり老けたようにも感じたが、紛れもなく、彼女自身だった」
高崎:「貴方は・・・」
冴島:「いきなり声をかけてすみません・・・。この絵の事で少しお尋ねしたくて」
高崎:「なんでしょう?」
冴島:「この絵に描かれている方はどなたなのですか?」
高崎:「この絵に描かれている女性は、私にとって、この世で一番大事な人です・・・」
冴島:「そうですか。この絵の噂を聞いて、一目見たくて、遠くから足を運びました」
高崎:「そうでしたか・・・。この絵を見た感想を聞かせていただけますか?」
冴島:「そうですね・・・。見てると心が穏やかになります・・・。
それにこの絵の方・・・とても幸せそう」
高崎:「彼女は本当に、貴方の言う通り、幸せだったのでしょうか・・・?」
冴島:「ええ。幸せだったと思いますよ。だって、御覧なさい。
絵の中の彼女は、こんなに優しく微笑んでるじゃありませんか」
高崎:「そうですね・・・」
冴島:「どうかされましたか? 私ったら、何か気に障る事を・・・」
高崎:「いいえ・・・。その言葉が嬉しかっただけです」
冴島:「そうですか・・・」
(お互い、目の前の彼女の肖像画を黙って見ていたが、この機会を逃すと駄目だと思い、思い切って訊ねる高崎)
間
高崎:「あのう、初めて会ったばかりで、失礼だと思いますが、この後時間はありますか?」
冴島:「ええ」
高崎:「もし、良ければ貴方をお連れしたい場所があるんです」
冴島:「私をですか?」
高崎:「はい、駄目でしょうか?」
冴島:「・・・わかりました。案内してください」
高崎:「ありがとうございます。こちらです」
(美術館出て、歩き出す2人、やがて着いた場所は、かつての森林だった。)
間
高崎:「着きました。此処です」
冴島:「とても綺麗な森林ですね。でも、どうしてここへ連れて来たかったのですか?」
高崎:「それは少し長いお話になるのですが、構いませんか?」
冴島:「ええ。その前に、お名前を聞かせていただけますか?」
高崎:「私の名前は、高崎 ノボルです」
冴島:「高崎・・・ノボル・・・」
高崎:「どうかされましたか・・・?」
冴島:「いえ・・・。なんだか、とても懐かしく思えて・・・。あれ? なんで・・・私。・・・涙が・・・。」
高崎:「・・・」
冴島:「どうかされましたか?」
高崎:「いいえ。何でもないです。あのう、ショパンはお好きですか?」
冴島:「ええ。好きだと思います」
高崎:「良ければこの先に、私のアトリエがあります。そこで、ノクターンを聞きながら、お茶でもいかがですか?」
冴島:「はい・・・。喜んで」
間
高崎(N):「こうして再び・・・」
冴島(N):「二人は出会った・・・。昼下がりの、この思い出の森で・・・」
終わり
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