匪石之心

 

 

作者 片摩 廣

 

 

 

登場人物

 

 

 

阿佐美 敬士(あざみ けいし)・・・湖の側にあるホテルに、泊まりに来たお客

                  ホテルを転々としていて、逃亡生活を送っている

 

 

不知火 麗(しらぬい れい)・・・湖の側にあるホテルで、働いてるフロントマン

                 母親に捨てられ、教会の施設で育った経験が、今でもトラウマになっている

 

 

 

 

比率 【1:1】

 

 

 

上演時間 【100分】

 

 

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CAST

 

 

阿佐美 敬士

 

 

不知火 麗

 

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(ホテルのフロントカウンター 不知火は作業をしている

 そこにチェックインの阿佐美が現れる

  不知火は、阿佐美を見た瞬間、心、奪われる)

 

 

 

 

 

不知火(N):「愛というのは厄介だ。いつの間にか、心の中で燃え広がり、体を侵食していく。

        それは・・・、まるで・・・、地獄の業火のように、身も心も焦がし続け、

        時には、思いもよらない行動にすら、自らを突き動かしていく・・・。

        そんな厄介なものなんて、一生要らないと、思っていた・・・。

        そう、今日までは・・・」

 

 

 

 

阿佐美:「チェックインを頼む」

 

 

不知火:「・・・」

 

 

阿佐美:「おい・・・、聞こえてるのか?」

 

 

不知火:「お客様、大変、失礼致しました。・・・御予約の、お名前をお願いします」

 

 

阿佐美:「阿佐美 敬士だ」

 

 

不知火:「・・・阿佐美様、ご確認が出来ました。本日から1週間の御宿泊で、お間違いないでしょうか?」

 

 

阿佐美:「あぁ。・・・素泊まりで予約したが、朝食、夕食は、予約すれば食べられるか?」

 

 

不知火:「はい。御用意は可能です」

 

 

阿佐美:「良かった。じゃあ、またその時に、連絡する」

 

 

不知火:「かしこまりました。阿佐美様、ご滞在中の、お部屋の清掃は何時頃が宜しいでしょうか?」

 

 

阿佐美:「朝は、ゆっくりしたい。・・・内線で、連絡とかは可能か?」

 

 

不知火:「それでしたら、外出時に、部屋のドアノブに清掃の札をお掛けいただきましたら、

     ハウスキーパーが清掃に入らせていただきます」

 

 

阿佐美:「わかった。それで構わない」

 

 

不知火:「かしこまりました。こちらが御部屋のルームキーです。

     何か御座いましたら、フロントまで、連絡くださ・・・」

 

 

阿佐美:「さっきから俺の事、ずっと見つめてるけど、誘ってるのか?」

 

 

不知火:「・・・」

 

 

阿佐美:「どうなんだ?」

 

 

不知火:「お客様、こう言う事は困ります・・・。離してください・・・」

 

 

阿佐美:「困ってる割には、手を振り払おうともしないのは、どうしてだ?」

 

 

不知火:「それは・・・」

 

 

阿佐美:「お前は俺に似ている。自分に素直になれば良いんだ」

 

 

不知火:「え? それは、どういう意味ですか・・・?」

 

 

阿佐美:「・・・その答えが訊きたいなら、今夜仕事が終わったら、部屋に来るんだ。良いな?」

 

 

 

不知火(N):「男はそう告げると、フロント奥のエレベーターに移動した。

        私は、彼に握られた手から伝わり、広がる微熱を感じながら、その姿を暫し見つめていた」

 

 

 

 

 

 

不知火(N):「仕事が終わってからも、さっきの言葉を思い出していた・・・。

        このまま、家に帰宅して、いつも通りの日常・・・。

        それが正しい・・・。正しいはずだ・・・。

        でも、私は気付くと、男の泊まってる部屋の前に立っていた」

 

 

 

不知火(N):「いけない事とは、わかっている・・・。

        職場で、如何わしい事をしているのもわかっている。

        わかっているのに、どうしてなの・・・。

        あの男の言葉が、頭から離れない・・・」

 

 

 

(部屋をノックする不知火)

 

 

 

阿佐美:「誰だ?」

 

 

不知火:「・・・あの」

 

 

阿佐美:「来ると思ってた。・・・今、開けるから、待ってくれ」

 

 

不知火(M):「このドアは空いたら、もう・・・、後には戻れない・・・。

        ・・・それでも、私は、あの言葉の真意が知りたい・・・」

 

 

阿佐美:「待たせたな。さぁ、中に入ってくれ」

 

 

不知火:「先程の・・・、フロントでの言葉ですが・・・」

 

 

阿佐美:「・・・その真意を知りたくて来たんだろ? それなら早く中に入るんだ」

 

 

不知火:「・・・失礼します」

 

 

阿佐美:「適当にその辺、座ってくれ」

 

 

不知火:「・・・さっき言った言葉ですが、どういう意味でしょうか?」

 

 

阿佐美:「どういう意味だと思う?」

 

 

不知火:「質問に質問で、返さないでください・・・」

 

 

阿佐美:「ほら、また嘘ついてる」

 

 

不知火:「え?」

 

 

阿佐美:「此処まで来てまだ嘘を付くのか? もっと自分の心に素直になれ。俺が欲しいんだろ?」

 

 

不知火:「・・・お客様! からかわないでください・・・!」

 

 

阿佐美:「そうやって逃げるのは、図星だからだ。

     俺の何処を気に入ったんだ?

     顔か? ・・・それとも、この体? ・・・それとも、もっと下の・・・」

 

 

不知火:「・・・言える訳ないでしょ! ・・・他に用がないのなら、私は帰ります!」

 

 

阿佐美:「おっと、帰らせるわけないだろ。第一、お前もそんな事、望んでないはずだ」

 

 

不知火:「そんな事ありません。やだ・・・。離して・・・」

 

 

阿佐美:「・・・いつまでも、素直になれないなら、体にこうして、聞くんだよ」

 

 

不知火:「・・・止めて。お願い・・・」

 

 

阿佐美:「ほら、口を開けろ」

 

 

不知火:「・・・嫌」

 

 

阿佐美:「たかが、キスで、恥ずかしがるな」

 

 

不知火:「・・・止めて。・・・あっ・・・」

 

 

阿佐美:「・・・そうだ。・・・初めから、そうしてれば良いんだ。

     もっとだ・・・。もっと、自分の気持ちに素直になって、本心を曝け出せ・・・」

 

 

不知火:「私は・・・」

 

 

阿佐美:「ん?」

 

 

不知火:「退屈な日常が、嫌で嫌でたまらない・・・。

     もう何もかも忘れて・・・、滅茶苦茶にされて、死にたい・・・」

 

 

阿佐美:「・・・本気か?」

 

 

不知火:「ずっと、変わらない日々にうんざりしてた・・・。・・・私は誰にも必要とされない存在・・・。

     そんな事を思うたびに、・・・自分自身が嫌になっていった・・・」

 

 

阿佐美:「それで、何もかも終わりにして、死にたいのか?」

 

 

不知火:「・・・今の人生、何もかもリセットしたい」

 

 

阿佐美:「本当に、その覚悟があるのか? あるなら、俺が終わらしてやる」

 

 

不知火:「・・・あるわ」

 

 

阿佐美:「良い目だ。わかった。信じてやる」

 

 

不知火:「ありがとう・・・」

 

 

阿佐美:「さぁ、力を抜いて、俺に体を預けろ・・・」

 

 

 

不知火(N):「・・・男に体を侵食されていくのを感じた・・・。

        男が動く度に、私の中に男の欲望が広がり、私自身が少しずつ消えていく。

        ・・・これで、やっと何もかも終わる・・・」

 

 

 

 

不知火(N):「どれ程、気を失っていただろうか・・・。

        息苦しさで目を覚ますと、男が私の首に手をかけていた」

 

 

不知火:「・・・何しているの・・・?」

 

 

阿佐美:「見ればわかるだろ・・・」

 

 

不知火:「そう・・・。殺してくれるのね」

 

 

阿佐美:「少しは命乞いぐらい、したらどうなんだ・・・?」

 

 

不知火:「無理よ・・・。ずっと、この瞬間を待ち望んでたのだから・・・」

 

 

阿佐美:「そんな事、言ってられるのも今の内だ。すぐ、後悔する事になる・・・」

 

 

不知火:「後悔なんてしないわ・・・!」

 

 

阿佐美:「いつまで、その減らず口を叩けるか、見もの・・・だ!」(力込めて絞め始める)

 

 

不知火:「ぐっ・・・。どうしたの・・・? まだ、力が・・・、弱いわ・・・。もっとよ・・・」

 

 

阿佐美:「あぁ、そうか。・・・それなら、これで、どう・・・だ!」

 

 

不知火:「あぅ・・・! ・・・良いわ! さっきより苦しくなってきた。・・・その調子よ。

     ・・・もっと力を込めて・・・!」

 

 

阿佐美:「うるさい・・・! もっと泣き叫んで、命乞いし・・・ろ!」

 

 

不知火:「そう・・・。・・・貴方、迷ってるのね・・・」

 

 

阿佐美:「何だと? 俺は、迷ってなんかいない!」

 

 

不知火:「貴方こそ・・・、自分に・・・、もっと素直に・・・、なりなさいよ・・・」

 

 

阿佐美:「舐めやがっ・・・て!」

 

 

不知火:「うっ・・・。・・・図星だから・・・、怒ったんでしょ・・・?」

 

 

阿佐美:「うるさい! 黙れ・・・! 

     死の恐怖から逃げたいから、そんな世迷言を言いやがって・・・!」

 

 

不知火:「死なんて、怖くないわ・・・」

 

 

阿佐美:「死んだ事ない奴が、ふざけるな!」

 

 

不知火:「そんな貴方は・・・、まるで死んだ事あるって、言い草ね」

 

 

阿佐美:「くっ・・・。お前に、俺の地獄の生活なんて、理解できねぇよ・・・」(力を緩めてしまう)

 

 

不知火:「貴方の方こそ、私の生きてきた地獄なんて、到底、理解できないわ・・・よ!」 (阿佐美の首を絞め返す)

 

 

阿佐美:「ぐっ・・・。・・・何するんだ。・・・離しやがれ!」

 

 

不知火:「嫌よ。絶対に離さない・・・! 今度は貴方が本心を曝け出す番よ!」

 

 

阿佐美:「・・・ふざけるな。・・・俺は・・・」

 

 

不知火:「その目と表情・・・、堪らないわ・・・。

     ・・・ねぇ、今、貴方、最高に輝いてるのがわかる・・・?

     ・・・生きてるのを実感、出来るでしょ?」

 

 

阿佐美:「お前・・・。本当に・・・、さっきの女なのか・・・!?」

 

 

不知火:「さぁ、どうかしら。・・・貴方のおかげで、別人に生まれ変わったかもしれない・・・わ!」

 

 

阿佐美:「・・・ぐっ。・・・くそっ・・・!」

 

 

不知火:「ねぇ、苦しい!?  

     その苦しみこそが、救いになるとしたら・・・、

     貴方は、それを望む!? 望まない!?」

 

 

阿佐美:「ぐっ・・・俺は・・・、望・・・!」

 

 

 

 

 

(不知火に首を絞め返されて失神する阿佐美

 暫くしてから、目を覚ます)

 

 

 

阿佐美:「・・・ん・・・。ううん・・・」

 

 

不知火:「あら、気付いたのね・・・。・・・どう、今の気分は?」

 

 

阿佐美:「此処は、天国か・・・?」

 

 

不知火:「残念・・・。・・・元の地獄のままよ」

 

 

阿佐美:「そうか・・・」

 

 

不知火:「・・・ええ」

 

 

阿佐美:「なぁ、タバコ、吸って良いか?」

 

 

不知火:「構わないわ。・・・ねぇ、私にも、1本頂戴」

 

 

阿佐美:「自分のがあるだろ?」

 

 

不知火:「生憎、切らしちゃってるのよ・・・」

 

 

阿佐美:「仕方ないな・・・。ほらよっ」

 

 

不知火:「ありがとう・・・」

 

 

(阿佐美と不知火は、タバコを吸い始める)

 

 

不知火:「・・・」

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

不知火:「・・・さっきの、質問だけど・・・」

 

 

阿佐美:「・・・俺は、望む・・・よ」

 

 

不知火:「・・・そう」

 

 

阿佐美:「この地獄が終わるなら、お前に、あのまま絞め殺されても良かった・・・」

 

 

不知火:「・・・何があったか話して。何がそこまで、貴方を苦しめてるの?」

 

 

阿佐美:「教えてやっても良いが・・・、俺だけ話すのはフェアじゃない。

     お前の地獄も、教えてくれるなら、話してやる」

 

 

不知火:「・・・」

 

 

阿佐美:「・・・駄目なのか?」

 

 

不知火:「貴方の想像以上に、地獄かもしれないわよ」

 

 

阿佐美:「望むところだ。地獄で踠く者同士、痛みを共有するのも悪くない」

 

 

不知火:「貴方の中の闇も、相当な物ね・・・。わかった。約束する。さぁ、話して」

      

 

 

(タバコを再び吸い始める阿佐美。そしてゆっくり話し始める)

 

 

 

阿佐美:「・・・初めは、仕事でのストレスからだったのは覚えてる。

     当時、付き合ってた彼女と口論になった後・・・、気付くと俺は、彼女の首を絞めていた。

     首を絞められ、もがき苦しむ彼女は・・・、美しく見え、俺は夢中になって首を絞め続けた・・・。

     初めて親に買ってもらった玩具(おもちゃ)に、興奮して、我を忘れて遊ぶ子供のように、

     少し手を緩めては、また少しずつ力を込めていったり、

     目の前の彼女が止めて! と懇願しても、俺は聞く耳をもたずに、その行為を楽しみ続けた」

 

 

 

不知火:「酷い事するのね。・・・でも、その時に貴方も目覚めたのよね? ・・・本当の自分に」

 

 

 

阿佐美:「そうかもな。・・・気絶した彼女を見て思った事は一つだけ。

     もっと首を絞め続けたかった・・・だからな。

     ・・・そんな事、考えてる自分自身に、恐怖を感じた俺は、その部屋から飛び出した。

     土砂降りの中、宛もなく走り続け・・・、必死にもう一人の自分から逃げ続けた・・・」

 

  

 

不知火:「そう・・・。それで、もう一人の自分からは逃げられたのかしら?」

 

 

阿佐美:「ふっ・・・。逃げ切れたのなら、今こうして此処には居ない。

     ・・・彼女に通報され、警察に捕まる・・・。

     そんな恐怖が、ずっと頭から離れなくなって、街から逃げ出したよ」

    

 

 

不知火:「それからは、逃亡生活ってわけね・・・。

     逃亡中も、貴方はその欲求を忘れることが出来なかった。違う?」

 

 

阿佐美:「その通り、正解だ。

     ・・・知らない街で、路頭に迷っていた俺を、助けてくれた女性と俺は恋に落ちた。

     だが、幸せな日々は、そう長く続かなかった。

     ある夜、彼女が寝ている時・・・、ふと、欲求が沸き上がったんだ。

     彼女の首を、思う存分、絞めたいって・・・」

 

 

 

不知火:「そう・・・。その欲求から、抗う事は出来たのかしら?」

 

 

阿佐美:「いいや・・・。抗う事は出来なかった・・・。

     俺は欲求に負けて、首を絞め・・・、再び逃げ続け・・・、

     ・・・このホテルに辿り着いたんだ」

 

 

不知火:「人の欲求って厄介よね。

     駄目だと思って、必死に足掻いても、気付いたら同じ事の繰り返し・・・。

     その度に、後悔の数が増え続け、自己嫌悪の渦に落ちてしまう・・・」

 

 

阿佐美:「あぁ・・・。後悔の繰り返しだった。

     ・・・いっその事、こんな人生、終わらせたいとも思った」

 

 

 

不知火:「それで、私に首を絞め返されても、本気で抵抗しなかったわけね」

 

 

阿佐美:「気付いてたのか?」

 

 

不知火:「ええ。・・・ねぇ? 私の首を絞めた時、貴方は何を考えていたの?」

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

不知火:「その時の彼女と、照らし合わせて、代わりに私を・・・」

 

 

阿佐美:「減らず口は此処までだ。

     ・・・俺の話は終わったんだから、次はお前の番だ」

 

 

不知火:「その後の話とかも、話してくれないのね」

 

 

阿佐美:「焦らなくても、まだ6日もあるんだ。こうして毎日、夜になったら訊ねて来い。

     そうしたら、続きを話してやる」

 

 

不知火:「・・・仕方ないわね。その遊び、付き合ってあげる」

 

 

阿佐美:「随分と強気なんだな」

 

 

不知火:「女はね、壮絶な地獄を経験したら、生まれ変わるの。ただ、それだけの事よ」

 

 

阿佐美:「昼間のホテルマンの姿とは、まるで別人だ」

 

 

不知火:「昼間の私は偽りの自分。誰からも頼りにされ、仕事も出来て、後輩からも憧れる存在。

     そう・・・、誰もが望む私を、ただ演じているだけ。

     女優のように、毎日、毎日、その繰り返しで・・・、いい加減、うんざりだった。

     本当の私を見つけ出して、解放してくれる、誰かを待ち望まずには、居られなかった・・・!」

 

 

阿佐美:「ホテルマン、失格だな・・・」

 

 

不知火:「そうね・・・。その通りだと思うわ・・・」      

     ・・・実は私はね、孤児だったの。

     施設に居た仲間が、私にとっては家族だった。だからかしら・・・。

     必然と何をするに対しても、我慢しなきゃいけない。

     我儘なんて、言っては駄目と・・・、自己暗示をかけていたわ。

     施設の園長さんは、とても優しくて、母性溢れる、聖母マリアみたいな方だった。

     でも、私は・・・、素直に甘える事なんて、出来なかった・・・」

 

 

阿佐美:「どうしてだ?」

 

 

不知火:「園長さんも、私を捨てた母親と同じように、女性・・・。

     だからこの人も、いずれは私の事、捨てて、一人ぼっちにさせる。

     そう、思い続けていたのよ・・・」

 

 

阿佐美:「だとしたら、園内の仲間に対しても・・・」

 

 

不知火:「貴方の思ってる通り、信用なんて出来なかった。

     ・・・ううん、それだけじゃないわ・・・

     私は、私自身も嫌で嫌で、たまらなかった・・・。

     母親と同じ血が流れてるだけでなく、同じ女性として生まれ、

     この世から、消えてなくなりたいと、思っていたわ・・・」

 

 

阿佐美:「それだと、自殺とかも、繰り返したのか・・・?」

 

 

不知火:「それも考えた。・・・でも、その前に、里親が見つかり、施設を離れる事になったの。

     里親の愛情のおかげで、小学校から、高校まで、何不自由なく育てられた。

     流石に、これ以上、お世話になれないと感じた私は、

     里親にも、猛反対されたけど、家を出て一人暮らしを始め、大学に入ったわ。

     施設に居た頃が、嘘のように幸せだったし、毎日が充実してた」

 

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

 

不知火:「その大学で、私はある男性を好きになったわ。・・・それが、初恋だった」

 

 

阿佐美:「また、随分と遅い初恋だな・・・」

 

 

不知火:「仕方ないじゃない。・・・高校の頃までは、そんな余裕なんてなかったわ。

     里親に、心配や迷惑かけないように、勉強に、スポーツ、他の事も、貪欲に頑張った。

     そんな努力もあって、周りの友達からも褒められたけど・・・、私は・・・。嬉しくなかった・・・。

     影では、目障りとか仲間内で言ってるの、知ってたから、

     そんな子達の前では、笑顔で接して、虐められないようにと、必死だった・・・」

 

 

阿佐美:「偽りの、笑顔の仮面か・・・。・・・、想像以上に、辛かったんだろうな・・・」

 

 

不知火:「笑顔を振りまくたびに、また一つ、また一つと、

     本当の心が、崩れていくのを感じて、嫌だった・・・!

     でも、そうするしか道はなかったし・・・! そうしないと、生きて来れなかった!

 

 

 

阿佐美:「おい・・・、少し落ち着け・・・!」

 

 

不知火:「・・・ごめんなさい。・・・感傷に浸り過ぎたわね・・・」

 

 

阿佐美:「良いんだ。・・・話の続き、聞かせてくれ」

 

 

不知火:「・・・大学に入って、彼とは図書館内で、出会ったの」

 

 

阿佐美:「へぇ~」     

 

 

不知火:「本を読んでる私の正面に、彼が座ったわ。

     ・・・突然の出来事で、私は緊張して、心臓の鼓動も速くなった・・・」

 

 

阿佐美:「随分と積極的な男だな・・・。・・・その後、彼から声をかけられ、恋に落ちたのか?」

 

 

不知火:「はずれ。・・・私も、彼もね、無言だった。

     彼は・・・、声をかける事もなく、本を読み続けたわ。

     ・・・時折見せる彼のしぐさに、私はいつの間にか、目が離せなくなっていた。

     流石に彼も、見られてるのに気付き・・・、目と目があって、彼が微笑んだ瞬間、

     私は恥ずかしさの余り、思わずうつむいたわ・・・」

 

 

阿佐美:「初心(うぶ)だったんだな・・・」

 

 

不知火:「ええ・・・、その通り。

     ・・・どのくらいそうしてたか、わからないけど、

     顔を上げると、彼は再び、私に微笑んだわ。

     どうして良いかわからず、うつむこうとした時、彼が私に声をかけてきたの・・・」

 

 

阿佐美:「何て?」

 

 

不知火:「一目惚れって言ったら信じる? と言われた。

     ・・・それ聞いた瞬間、余程、嬉しかったのか、

     図書館に居る事も忘れて、大声で信じます! と、答えたわ・・・。

     その返答に対して、彼は笑いながら、また明日、この時間に此処でねと言って、

     ・・・帰って行ったの・・・」

 

 

 

阿佐美:「それで・・・、その次の日、彼は来たのか?」

 

 

不知火:「ええ、来たわよ。

     ・・・約束通り、また同じように、私の真正面に座った。

     そして、今度は少し、たわいのない会話を楽しんだわ。

     時間はあっという間に過ぎ、彼が帰ろうとした時に、

     私、言ったの。もっと一緒に居たいと。

     ・・・彼は、笑顔で良いよと答えてくれて、その後も、彼と会話を楽しんで、

     連絡先も交換したわ」

 

 

阿佐美:「順調だったんだな」

 

 

不知火:「その後、付き合い出して暫くしてから、彼が結婚の話を、持ち出すまではね・・・。

     彼、こう言ったの・・・。結婚したら、子供は2人。男の子と女の子が欲しいと。

     その時だったわ。・・・私の中で、何かが壊れたの・・・。

     気持ちが悪くなって、急いでトイレに駆け込んだ・・・!」

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

不知火:「いつかは、言われるかもと、覚悟はしてた。

     愛してる彼の子供なら、こんな私にでも産めるのかなとも思った・・・。

     でも、女の子も欲しいと聞いた瞬間、母親の事、思い出して、怖くなったの・・・」

 

 

阿佐美:「彼には、その事は話さなかったのか?」

 

 

不知火:「ううん・・・。トイレから戻った私に、

     彼は、もしかして、俺達の子供が出来たのか? と、嬉しそうに、聞いて来た。

     ・・・その時の彼を見て、私はもう限界なのを感じたわ・・・。

     そして、自分のこれまでのいきさつを、話した・・・」

 

 

阿佐美:「彼の反応は?」

 

 

不知火:「驚いてたわ・・・。・・・それも当然よね。

     彼の家は、両親も優しくて、何不自由なく育ったのだから・・・。

     私は、結婚、出来ない事を必死に伝えたわ。だけど、彼はそんな過去は関係ない!

     俺が幸せにしてやる! と、言うばかりで・・・」

 

 

阿佐美:「良い彼じゃないか・・・」

 

 

不知火:「良すぎたのよ・・・!

     ・・・どう足掻いても、私の過去は変えられない・・・。

     そんな自分でさえ、背負いきれない闇を、彼に一緒に背負わすなんて、出来る訳ないでしょ?」

 

 

阿佐美:「気持ちはわかるが、その彼も背負おう気持ちは・・・」

 

 

不知火:「貴方の言う通り、あったと思うわ。・・・でも、私には耐えきれなかった・・・。

     だから、彼とは、それっきり会うのを辞めたの・・・。

     大学を中退した後は、彼の居ない街に引っ越したわ・・・。

     それからは、恋愛なんて、二度としないと決意して生きてきた・・・。・・・そのはずだった」

 

 

阿佐美:「だった?」

 

 

不知火:「・・・貴方とフロントで、出会うまでは・・・」

 

 

阿佐美:「どういう事だ・・・?」

 

 

不知火:「・・・その彼と、貴方は似てるのよ・・・。

     だから私・・・、あの時、彼が私を探して、此処まで来たのかと思った・・・。

     でも、声を聴いた瞬間、別人なのがわかったわ・・・」

 

 

阿佐美:「・・・それで、チェックインの前に、暫く俺を見つめてたわけだな・・・」

 

 

不知火:「でも、運命って本当、意地悪ね。

     ・・・そんな似てる貴方と、こうして今、ベッドで一緒に居るのだから」

 

 

阿佐美:「・・・違いない」

 

 

不知火:「貴方のおかげで、私は・・・、本当の私に、生まれ変わることが出来たのよ。

     だから、ちゃんと責任とってよね」

 

 

阿佐美:「一体どうやってだ?」

 

 

不知火:「・・・それは貴方が、このホテルに滞在してる内に決めるわ。

     ・・・大人の危険な遊びを、これからたっぷり、楽しみましょう・・・」

 

 

 

 

 

 

(2日目の朝 

 阿佐美が起きると、不知火の姿は消えていた。阿佐美は1人、ホテルの裏にある湖に向かった)

 

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

不知火:「此処にいらしたのですね。阿佐美様。もうすぐ、御朝食の時間ですが、如何されますか?」

 

 

阿佐美:「朝食は要らない。・・・わざわざ此処まで、探しに来たのか?」

 

 

不知火:「お部屋に内線しても、居なかったので」

 

 

阿佐美:「それだけじゃ、ないだろ?」

 

 

不知火:「どういう意味でしょうか?」

 

 

阿佐美:「本当、名演技だな・・・。・・・夜の姿は、昼間は見せないってわけか・・・」

 

 

不知火:「昨日も、お伝えした通り、昼間の私は、偽りの自分。

     本当の私に、出会いたいのでしたら、夜まで待ってください」

 

 

阿佐美:「それが、俺達のルールって訳か。

     だが、俺がもし、そのルールを守らなかった場合はどうする?」

 

 

不知火:「私は、阿佐美様を信じてます」

 

 

阿佐美:「・・・そんな貼り付けたような笑顔で、言われても不気味なんだよ。

     わかったから、もう何処か行ってくれ・・・」

 

 

不知火:「かしこまりました。それでは、阿佐美様、また今夜・・・」

 

 

 

阿佐美(N):「昨日、絞め殺されかけたのに、この女性は、

       まるで、何事も無かったかのように、

                            笑顔で俺にそう言うと、ホテルの館内へと戻っていった。

       その笑顔は、仮面舞踏会に被るマスクのように、

       その内なる心は、決して見せず、深い闇の底のような、

       黒い瞳だけが、怪しく輝いていて、

       その深い闇を、直視するのが怖くなり、俺は思わず目を背けた・・・」

 

 

 

 

 

(2日目の夜、館内ロビー、ソファーで、夕食後一人、考え込む阿佐美)

 

 

 

不知火:「今晩わ。阿佐美様。・・・夕食後、ずっとこのソファーに居られましたよね。何か考え事ですか?」

 

 

阿佐美:「客を監視するとは、感心が出来ないな。それとも、それがお前の趣味なのか?」

 

 

不知火:「いいえ、心配で声をかけただけです。気に障ったのなら、謝ります・・・」

 

 

阿佐美:「・・・そうか」

 

 

不知火:「・・・」

 

 

阿佐美:「まだ何か用なのか?」

 

 

不知火:「阿佐美様は、何故・・・、このホテルへ御宿泊をお決めになったのでしょうか?」

 

 

阿佐美:「・・・どうして、そんな事を聞く?」

 

 

不知火:「何となくですが、阿佐美様は・・・、誰かに会いに来たのでは、と思いましたので・・・」

 

 

阿佐美:「そうだとしても、お前には一切関係ない事だ。それに悪いが、その考えはハズレだ。

     俺は昨夜も話た通り、逃亡生活の身だ。

     こんな山奥のホテルに、会いたい人物なんて、居るわけがないだろ」

 

 

 

不知火:「・・・どうやら、私の勘違いだったようです。重ね重ね、失礼致しました」

 

 

阿佐美:「折角、お酒を楽しんで、良い気分だったのに、すっかり白けちまった・・・。

     この償いは、どうしてくれる?」

 

 

不知火:「・・・お詫びに、残りの滞在中、私からお酒を差し上げます。

     1夜に付き1杯。それで、今回の償いとさせていただけませんでしょうか?」

 

 

阿佐美:「残りの5日間、無料で酒が飲めるという訳か。それも悪く無いな」

 

 

不知火:「気に入っていただけたようで。

     それでは、御用意するので、奥のバーラウンジにお越しください」

 

 

阿佐美:「お前が作るのか?」

 

 

不知火:「左様でございます。私では、駄目でしょうか?」

 

 

阿佐美:「別に、構わない・・・」

 

 

不知火:「では、こちらへ」

 

 

 

(ホテル館内 バーラウンジ 

 ゆったりとしたJAZZが流れている)

 

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

不知火:「どうぞ、こちらの席へ、お掛けください」

 

 

阿佐美:「あぁ・・・」

 

 

不知火:「それでは、お作り致します」

 

 

 

 

阿佐美:「バーテンダーとしての、資格も持ってるんだな・・・」

 

 

不知火:「従業員の数も少ないホテルなので、このくらいは出来て当然で御座います」

 

 

阿佐美:「それにしても、見事な手さばきだ」

 

 

不知火:「恐れ入ります」

 

 

阿佐美:「このホテルは、都会の慌ただしさを、忘れる事が出来る・・・。良いホテルだ」

 

 

不知火:「ありがとうございます。・・・お待たせしました。スティンガーで御座います」

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

不知火:「如何されましたか?」

 

 

阿佐美:「・・・何でもない」

 

 

不知火:「先程、阿佐美様の仰った言葉、私も同じ事、考えてました。

     このホテルの静けさは、過去の嫌な事も・・・、

     いつの間にか、遠い記憶として、変えてしまう・・・。そんな不思議な力があると・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・そうだな。・・・ゆったりとJAZZを聴いて、こうして美味い酒を飲んでると、

     そんな気分に、させてくれるから、不思議だ・・・。

     俺が・・・、このホテルのHPを見た時、感じた思いは・・・、どうやら正しかったようだ。

     ・・・此処に決めて、良かったよ」

 

 

 

不知火:「阿佐美様のお気に召したのなら、私共も、光栄で御座います。

     どうか、残りの滞在も、ごゆっくりお過ごしくださいませ」

 

 

 

阿佐美:「あぁ。・・・お前とこうして、部屋以外で会える楽しみも出来て嬉しいよ。

     所で・・・、このお酒は、随分と強いな・・・。

     俺をこんなに酔わせて、この後、何する気だ・・・?」

 

 

 

不知火:「それは、今の私からはお伝えする事は、出来ません。

     この後、お部屋で、お待ちくださいませ」

 

 

阿佐美:「頑なにホテルマンの顔は、崩さないんだな。

     だが、それでこそ、より本当のお前の顔を、拝みたくなる・・・」

 

 

 

不知火:「恐れ入ります。それでは、私は残りの仕事がありますので、この辺で・・・」

 

 

阿佐美:「あぁ。・・・また後でな・・・」

 

 

 

 

(バーラウンジを後にしてフロントに戻る、不知火を見ている阿佐美

 後ろから痛いほど見られてるのは、気付いてるけど、決して振り向かない不知火

 お互い、心の中で、これからの決意を固める)

 

 

 

 

不知火(M):「貴方の心は、何処までも広がる闇で、光が見えない。

       時折、見せる寂しげな表情・・・。

       その先には、一体、誰を思い浮かべているのかしら?」

        

 

阿佐美(M):「この一杯のお酒・・・。まるで、お前の心のように、真意がわからない・・・」

 

 

不知火(M):「そう・・・。私達は、お互い、心に仮面を付けてるのね・・・。

         だったら私は・・・」

 

 

 

阿佐美(M):「俺は・・・」

 

 

 

不知火(M):「この仮面舞踏会を通して・・・、」

 

 

阿佐美(M):「その仮面の奥に、隠された真実の心を暴いてやる・・・」

 

 

 

 

 

 

(数時間後、阿佐美の部屋、ノックする不知火)

 

 

阿佐美:「誰だ?」

 

不知火:「私よ」

 

阿佐美:「わかった。・・・今、開ける。

 

     ・・・入ってくれ」

 

不知火:「来るのが遅くなったわ。ごめんなさい・・・」

 

 

阿佐美:「今夜は、このまま、来ないかと思った・・・」

 

 

不知火:「少し、怒ってる・・・?」

 

 

阿佐美:「あぁ・・・。余りに遅いから、寝ようかと思ってたよ。

     何かあったのか?」

 

 

不知火:「常連のお客様から、クレームが来て、応対してたわ」

 

 

阿佐美:「ホテル業も、大変なんだな」

 

 

不知火:「大変なことだらけよ。我儘なお客様も多いし、私達は、奴隷じゃないって思う時も多いわ・・・」

 

 

阿佐美:「余りに頭にきて、殺したいと思った時は、あるか?」

 

 

不知火:「え・・・? そんなの・・・」

 

 

阿佐美:「此処は、俺とお前だけなんだ。遠慮するな」

 

 

不知火:「・・・殺したいと思った事なんて、1つ、2つじゃ、済まないわ」

 

 

阿佐美:「それはそれは・・・、物騒なホテルマンだ。でも、それでこそ人間だ。

     そういう部分も、嫌いじゃない」

 

 

不知火:「そういうお客ってね、私達の事、自分達より格下としか見てないのよ・・・。

     サービスを受けて、当たり前。・・・お客の我儘は、通って当たり前だなんて、

     思ってて、こちらの苦労なんて、伝わってないわ・・・」

 

 

阿佐美:「そうじゃないと、正義感振りかざして、説得したい所だが・・・、そうかもな。

     この世に、生まれた瞬間、人間は、二つに区別されるのさ。

     使う側の人間か、使われる側の人間か・・・。

     必死に努力して、その運命を逆転させる事も出来るが・・・、

     元から、多くを持った人間には・・・、到底、敵わない・・・」

 

 

 

不知火:「私はそんな運命を・・・、かなり不利な状況で、スタートしたのね・・・。

     でも、だからこそ、何もかも初めから持ってる、裕福な奴等には負けたくないと思った・・・。

     足掻いて、足掻き続けて・・・、逆転したいと思ってた頃、彼と出会って、

     こんな私にも、やっと幸せがと、思った・・・」

 

 

阿佐美:「だが、束の間の幸せだった。・・・世の中、上手くいかない事だらけだな・・・」

 

 

不知火:「そうね・・・。

     ・・・ねぇ、今夜は抱いてくれないのかしら?」

 

 

阿佐美:「人が真面目に、語ってるのに・・・。・・・全部、台無しだ」

 

 

不知火:「水を差して悪かったわよ。でも、貴方も・・・、それが目的でしょ?」

 

 

阿佐美:「悪いが、今日はそんな気分になれない」

 

 

不知火:「あらそう。じゃあ、良いわ。このまま、横になりましょう」

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

(ベッドで、横になる阿佐美と不知火)

 

 

不知火:「気が利かないわね・・・。ん?」

 

 

阿佐美:「ん?」

 

 

不知火:「腕枕よ。もう、それくらいわかって」

 

 

阿佐美:「(溜息)仕方ないな・・・。ほらよ・・・。これで、満足か?」

 

 

不知火:「ええ。満足よ」

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

不知火:「ねぇ・・・、今、何考えてるの?」

 

 

阿佐美:「お前の昨日の話、思い出してた」

 

 

不知火:「私の話?」

 

 

阿佐美:「彼氏との間に、出来た子だが、どうしたんだ・・・?」

 

 

不知火:「・・・中絶したわ。・・・仕方がなかったのよ。

     産んだとしても・・・、私、一人で育てるなんて、到底、無理なのわかってたし・・・。

     産んで・・・、母と同じように、我が子を捨てるなんて事も、出来る訳ないわ・・・」

 

 

阿佐美:「本当に、それで良かったのか・・・?」

 

 

不知火:「どういう意味かしら?」

 

 

阿佐美:「苦労すると、わかってても、愛した彼氏の子供だろ。罪悪感はなかったのか?」

 

 

不知火:「罪悪感って何よ・・・? じゃあ、訊くけど、他にどんな方法があったのよ・・・」

 

 

阿佐美:「ちゃんと産んで、育て・・・、

     彼氏と仲良く、3人で幸せに・・・」

 

 

不知火:「そんな夢のような家族・・・。私には、無理よ。それに・・・」

 

 

阿佐美:「ん?」

 

 

不知火:「母親の愛情も、知らない私に・・・、子供が育てられる訳・・・、ないでしょ・・・」

 

 

阿佐美:「・・・すまない。・・・言い過ぎた」

 

 

不知火:「・・・今夜は、お開きにしましょう・・・」

 

 

阿佐美:「怒ったのか・・・?」

 

 

不知火:「そうじゃない・・・。今更、怒る気力なんて、私には残ってないわ・・・」

 

 

阿佐美:「じゃあ、どうして?」

 

 

不知火:「・・・ごめんなさい。・・・仕事の疲れが一気に出ただけよ。

     ・・・また、明日、話しましょう」

 

 

阿佐美:「あぁ・・・」

 

 

不知火:「ねぇ・・・」

 

 

阿佐美:「ん?」

 

 

不知火:「明日は、貴方の話も聞かせて。・・・私ばかり、心を見られてるようで、ずるいわ・・・」

 

 

阿佐美:「わかった。明日は、俺についても、聞いてくれ」

 

 

不知火:「わかったわ。・・・おやすみなさい」

 

 

 

 

阿佐美(M):「今夜の仮面舞踏会は、どうやら一方的に、踏み込みすぎたようだ・・・。

           俺は、お前の心の闇に、差す一筋の光となるのか、

           それとも、お前自身を壊す者となるのか・・・。

           残り5日間で、俺は審判を下す事になる。ただ、それだけの事だ・・・」

 

 

 

 

 

 

(3日目の朝、朝食会場 朝食を取っている阿佐美に声をかける不知火)

 

 

 

不知火:「おはようございます。阿佐美様。本日は、いかがお過ごしになられますか?」

 

 

阿佐美:「まだ考えて無い。・・・そうだ。この辺は、何か観光する場所はあるのか?」

 

 

不知火:「申し訳ございません。この辺は都会からも離れ、辺鄙な場所ですので、特に観光する場所は・・・」

 

 

阿佐美:「ふ~ん。此処に来る連中共は、一体何を楽しみに来てるのか、わからないな・・・」

 

 

不知火:「昨夜もバーラウンジで申した通り、都会の慌ただしさに疲れたお客様が、

     静寂を求めて、このホテルにお越しになられます。

     近くに、多くの人が集まる人気の観光地などあったら、折角の静寂も台無しになります」

 

 

阿佐美:「まぁ・・・、観光地が近くにあったら、こんなに閑古鳥が鳴く事はないだろうが、

     この静寂と引き換えと考えたら・・・確かに納得だな」

 

 

 

不知火:「阿佐美様、退屈で仕方ないのでしたら、近くの神社か・・・、

     もしくは湖で、ボートなどは如何でしょうか?」

 

 

阿佐美:「神社か・・・。特に楽しめそうにもないし・・・。湖も一人でボート漕いでもな・・・」

 

 

不知火:「それでしたら、御提案がございます」

 

 

阿佐美:「どんな提案だ?」

 

 

不知火:「私がお供します。如何ですか?」(耳打ちする)

 

 

阿佐美:「それなら、楽しめそうだ」

 

 

不知火:「それでは、後ほど」

 

 

阿佐美:「あぁ・・・」

 

 

阿佐美(M):「今度は一体何を考えている。・・・まぁ良い。その誘い、乗ってやる」

 

 

 

 

 

 

 

(湖で待っている阿佐美。少し遅れて不知火がやってくる)

 

 

 

不知火:「お待たせ」

 

 

阿佐美:「髪を下ろすと、雰囲気が変わるな・・・」

 

 

不知火:「あら・・・、それって褒め言葉かしら?」

 

 

阿佐美:「ただ、そう思っただけだ。・・・さぁ、早く案内してくれ」

 

 

不知火:「わかったわ。こっちよ」

 

 

阿佐美(M):「こんなに着飾ったり、化粧まで変えて、何を考えてるんだ・・・」

 

 

不知火:「ねぇ、そんなにこの格好、変かしら?」

 

 

阿佐美:「ん?」

 

 

不知火:「さっきから、私の服装見ては、何か考え事してるからよ」

 

 

阿佐美:「悪い・・・」

 

 

不知火:「まっ良いけど。・・・私だって女よ。

     休みの日くらい、普段とは違う化粧にもなるし、服装だって、気にするわよ。

     貴方も男なら、少しは褒めたり、喜ばせてよ・・・」

 

 

阿佐美:「さっき、褒めただろ?」

 

 

不知火:「(溜息)・・・貴方って女心、全然わかってないのね。

     もう良いわよ・・・。・・・さっ、着いたわよ」

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

不知火:「何、黙って突っ立ってんのよ。どのボートにする?」

 

 

阿佐美:「悪い。・・・あれにするか?」

 

 

不知火:「あれね。すみません。あのボート、お願い出来ますか?」

 

 

阿佐美:「いくらだ?」

 

 

不知火:「私から提案したんだし、お金は良いわよ。

     ・・・ホテルからすぐそこだけど、まだ乗った事なくて・・・。

     だから正直・・・、此処のボート乗って見たかったの」

 

 

 

阿佐美(N):「そう微笑みながら言って、お金を払い、長い髪をなびかせながら、

        ボートに歩く姿に、俺は少しの間、心奪われていた・・・。

        本当に、何を考えているかわからない・・・。

        考えれば、考える程、自分自身が可笑しくなるようだ・・・」

 

 

 

 

 

 

 

不知火:「へぇ~、やっぱり男の人ね。貸しボートの案内所が、もうあんなに遠いわ~」

 

 

阿佐美:「一つ質問、良いか?」

 

 

不知火:「あら、何かしら?」

 

 

阿佐美:「今まで来た事、無かったみたいだが、それは何か理由があるのか?」

 

 

不知火:「理由なんてないわ。一人で来ても楽しめないと思ったから、来なかっただけ」

 

 

阿佐美:「・・・それだけか?」

 

 

不知火:「それともう一つ」

 

 

阿佐美:「何だ・・・?」

 

 

不知火:「貴方みたいな魅力的な男性に、巡り合えなかったから・・・」

 

 

阿佐美(N):「そう言いながら、真っ直ぐ見つめてくる彼女に対して、思わず顔を背けた」

 

 

不知火:「もう・・・。私、結構、真面目に答えたのに・・・」

 

 

阿佐美:「今の状況、わかって言ってるのか? 湖の真ん中、男とボートで、二人っきりなんだぞ。

     ・・・それなのに・・・」

 

 

不知火:「それなのに・・・、何? 襲われたりしたら、逃げ場なんてない?」

 

 

阿佐美:「あぁ、その通りだ!」

 

 

不知火:「そんな勇気なんて、無いくせに」

 

 

阿佐美:「何だと・・・?」

 

 

不知火:「この湖だけど、見ての通り、深さはだいぶあるのよね。

     だから・・・、いっその事、このまま二人で入水自殺も、出来るわよ?」

 

 

阿佐美:「馬鹿言うな・・・! そんな事しても、すぐに貸しボートの従業員が異変に気付いて助けに来る・・・」

 

 

不知火:「そうかもしれないわね。

     ・・・ねぇ、私、泳げないの・・・」

 

 

阿佐美:「何、立ち上がってるんだ。・・・危ないから、早く座れ!」

 

 

不知火:「ねぇ・・・、こうしたら、貴方・・・、どうする?」

 

 

阿佐美(N):「そう言うと、女はそのまま、水面向けて倒れ出した」

 

 

阿佐美:「この馬鹿・・・!!!」

 

 

阿佐美(N):「俺は、慌てて飛び込むと、底へと沈んでいく彼女を追いかけた」

 

 

阿佐美(M):「なんだってんだ。ちくしょう・・・!!!」

 

 

阿佐美(N):「彼女に追いつき、体を掴むと、俺は一目散に、水面へと向かい、ボートに引き上げた」

 

 

阿佐美:「はぁ、はぁ、はぁ・・・!!! おいっ、しっかりしろ!!!」

 

 

不知火:「はぁ、はぁ、はぁ・・・あ~苦しかった~! 息を止めてるのって、思ってたより、苦しいわね!」

 

 

阿佐美:「お前、まさか!?」

 

 

不知火:「さっきのは真っ赤な嘘。

     私、ちゃんと泳げるわよ。それなのに、こんなに必死になるなんて・・・可笑しい!」

 

 

阿佐美:「ふざけるな!!! 俺は、お前がこのまま、溺れ死ぬんじゃないかって、必死で・・・!!!」

 

 

不知火:「必死に追いかけてくるのが見えたわ。だから・・・嬉しかった・・・」

 

 

阿佐美:「・・・一体、何を考えてるんだ? 俺を弄んで楽しいか!?」

 

 

不知火:「ただ、スリルを味わいたかっただけよ。

     ・・・それにしても、貴方も、あんなに必死になれるのね。

     その仮面の奥に隠された素顔、見れた気がして、嬉しかったわ」

 

 

 

阿佐美:「それにしたって無茶し過ぎだ。本当に死んでしまったら、どうするんだ・・・」

 

 

不知火:「その時はその時よ。

     ・・・でも、そうならないって信じてた。貴方がきっと助けてくれるって、信じてた」

 

 

阿佐美(N):「そう言いながら、さっきと同じように見つめてくる女に対して、

        俺は今度は目が離せなかった・・・」

 

 

 

不知火:「ねぇ、そろそろ戻りましょう。

     このままじゃ、お互い風邪引いちゃいそうだし、早く着替えないと・・・」

 

 

阿佐美:「着替えはどうする?」

 

 

不知火:「流石に・・・、ホテルの館内、このままだと不味いわよね・・・。

     私が何か着るもの用意するから、貴方は、ベンチで待ってて」

 

 

 

阿佐美:「あぁ・・・」

 

 

 

阿佐美(N):「陸へと戻り、暫くベンチで待っていると、女は戻って来た」

 

 

 

不知火:「お待たせ。急いでたから、こんな物しか用意、出来なかったわ・・・」

 

 

 

阿佐美:「部屋に戻るくらいだ。着られれば良い」

 

 

 

不知火:「それなら、良かった。

     ・・・ねぇ、今夜、ホテル主催の仮面舞踏会があるのだけど・・・」

 

 

 

阿佐美:「仮面舞踏会? お前も参加するのか?」

 

 

 

不知火:「その予定よ。貴方もどう?」

 

 

 

阿佐美:「面白そうだ。喜んで参加させてもらうよ」

 

 

 

不知火:「じゃあ、今夜、会場で待ってるわね」

 

 

 

阿佐美:「あぁ。楽しみにしてるよ」

 

 

 

 

 

 

(3日目の夜 ホテル館内 ダンスフロア

 不知火を待ちながら、周りの様子を見ている阿佐美)

 

 

 

阿佐美(M):「此処がダンスフロアか・・・。・・・煌びやかな衣装に、仮面つけて、

        皆、日常を忘れて、踊って暢気な者だな・・・。

        さぁ、あの女は、今度は俺に、どんなゲームを仕掛けてくるのか、楽しみだ・・・」

 

 

 

不知火:「ねぇ、そこの貴方・・・。私と一曲、踊ってくれないかしら?」

 

 

 

阿佐美:「俺で良ければ。喜んで。・・・行こうか」

 

 

 

不知火:「ええ」

 

 

 

 

 

 

阿佐美:「それにしても、昼間と違って、どのお客も、妖艶な雰囲気だ・・・」

 

 

不知火:「お客だけじゃないわ。・・・このダンスフロアーには、私達、ホテルの従業員もいるのよ」

 

 

阿佐美:「なるほど・・・。この主催は、そういう集まりか・・・」

 

 

不知火:「純粋に、踊りを楽しんでるお客も居るわ。

     だけど、大半のお客が、一夜のアバンチュール目的で、

     私達、従業員も・・・、このダンスパーティーの時だけは、一人の男と女になるの」

 

 

阿佐美:「秘密の社交界にしても、過激すぎないか?」

 

 

 

不知火:「娯楽も何もない場所だからこそ、こういうパーティーも必要なのよ。

     刺激のない毎日ばかり過ごしてたら、退屈で死んでしまうわ・・・」

 

 

 

阿佐美:「退屈な人生ね。・・・だが、安定してる毎日も、悪い物じゃない」

 

 

 

不知火:「あら、そうかしら? ・・・私は、そんな毎日なんて耐えられない。

     今まで、我慢ばかりだったのよ。だから、今が最高に楽しい。

     ねぇ、知ってる? 女の一番の幸せは、結婚する事なのよ」

 

 

 

阿佐美:「へぇ~」

 

 

 

不知火:「女は、結婚して愛する夫と愛を交わし、子供を産み・・・、女から、母となる。

     だからね、私は、一生、女のままで居られるの・・・」

 

 

 

阿佐美:「どういう意味だ?」

 

 

 

不知火:「女から、母になれる人は、母親の愛情を知ってる人だけ・・・。

     母親の愛情を知らない私には、到底、無理な事よ。

     だから私は、一生、女のまま・・・」

 

 

 

阿佐美:「ふ~ん。でも、それも悪くないかもな。

     結婚した後、時間と共に愛情が消え去り、夫の浮気を、気に悩んだりする事もない。

     こうして、気になる男とも、踊れたりも出来る」

 

 

 

不知火:「気になる男? さぁ、それはどうかしら?

     幾ら顔が似てるとはいえ、そこまでは、まだ貴方の事、気になって無いかも知れないわよ」

 

 

 

阿佐美:「それなら、残りの4日間で、その気にさせてやるだけだ」

 

 

 

不知火:「出来るかしら? 貴方に?」

 

 

 

阿佐美:「何事も、やってみなければ、わからないだろ?」

 

 

 

不知火:「ふっ。・・・それもそうね。・・・それにしても、随分とリード、上手いのね」

 

 

 

阿佐美:「これでも、酸いも甘いも経験してきた。

     女をリードするくらい簡単だ」

 

 

 

不知火:「女を甘く見過ぎてるのね・・・。さぁ、これなら、どうかしら・・・?」

 

 

 

阿佐美:「・・・そう来るのか。面白い・・・」

 

 

 

不知火:「リードされるばかりなんて、つまらないわ・・・。

     時には、こうして、男のリードを奪い、自由に翻弄したくも、なっちゃうものよ」

 

 

 

阿佐美:「なるほど。それでは、お手並み、拝見と行きますか」

 

 

 

不知火:「その言葉、後悔しても、知らないんだから」

 

 

 

 

 

 

阿佐美:「予想以上にやるな・・・」

 

 

 

不知火:「貴方こそ、私に付いて来れるなんて、見事ね」

 

 

 

阿佐美:「褒め言葉、どうも。・・・でも、そろそろ、休憩しないか?」

 

 

 

不知火:「あら、もう、降参かしら?」

 

 

 

阿佐美:「あぁ、降参だ。それに・・・、踊り疲れて、喉も乾いた・・・」

 

 

 

不知火:「そう。じゃあ、今夜の分、早速、作ってあげる。座って待ってて」

 

 

 

阿佐美:「・・・頼む」

 

 

 

 

 

不知火:「・・・お待たせ。はい、どうぞ召し上がれ」

 

 

阿佐美:「・・・今夜は、ジンバックか・・・」

 

 

不知火:「このお酒、爽やかな飲み口で、私も好きなのよね~。

     踊った後だし、丁度良いでしょ?」

 

 

阿佐美:「・・・あぁ。こんなダンスの後には、丁度良い・・・」

 

 

不知火:「気に入ってもらえて嬉しいわ」

 

 

阿佐美:「それにしても、皆、まだ踊り続けてるな・・・」

 

 

不知火:「日付が変わっても、踊り続けてる人も、中にはいるわ。

     ・・・大概のお客様は、もう少ししたら部屋に帰っちゃうけど・・・」

 

 

阿佐美:「俺達も、もう少し踊ったら、部屋に行くか?」

 

 

不知火:「貴方の方から誘ってくれるって事は、・・・期待して良いのかしら?」

 

 

阿佐美:「何がだ?」

 

 

不知火:「貴方の話の続き」

 

 

阿佐美:「そんなに聞きたいのなら、話してやる」

 

 

不知火:「約束よ」

 

 

阿佐美:「わかった・・・、約束だ」

 

 

不知火:「さぁ、休憩、終わり。ほら、踊りに行くわよ」

 

 

阿佐美:「わかったよ・・・」

 

 

 

 

不知火:「ねぇ、見て。・・・周りも、すっかり良い雰囲気になって来た・・・」

 

 

阿佐美:「なぁ・・・」

 

 

不知火:「何かしら?」

 

 

阿佐美:「お前の名前、聞いても良いか?」

 

 

不知火:「名前?」

 

 

阿佐美:「あぁ。知りたいんだ」

 

 

不知火:「名前を知ったら・・・、お客とホテルマンの関係では、なくなるわよ。

     それでも良いのかしら?」

 

 

 

阿佐美:「既にベッドも共にしてるんだ。今更だろ?」

 

 

 

不知火:「貴方って、想像以上に鈍感なのね・・・。

     まぁ、良いわ。・・・私の名前は、麗。・・・不知火 麗よ」

 

 

阿佐美:「麗は、どんな漢字だ?」

 

 

不知火:「麗しいという字よ」

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

不知火:「何? その沈黙。どうせ、似合わない名前だと・・・」

 

 

阿佐美:「とても良く似合ってる・・・」

 

 

不知火:「・・・え? 冗談はよして・・・」

 

 

阿佐美:「冗談じゃない。ありきたりな言葉で悪いが・・・、お前に合ってる・・・」

 

 

不知火:「・・・」

 

 

阿佐美:「気を悪くしたのか・・・?」

 

 

不知火:「そうじゃないわ。

     ・・・貴方の口から、そんな言葉、返ってくるなんて、思っても見なかったから・・・」

 

 

阿佐美:「・・・俺自身も、驚いてる・・・」

 

 

不知火:「何がかしら?」

 

 

阿佐美:「心の奥も見えない、ミステリアスな女なのに、

     俺は、お前の事、気になりだしてる・・・」

 

 

不知火:「・・・貴方は、相当な詐欺師ね。

     ・・・そんな臭いセリフ、真顔であっさりと、言えるなんて・・・。

     でも、いい機会だから、教えてあげる・・・。

     私も、貴方の事、気になってるわよ・・・」

 

 

阿佐美:「本当なのか?」

 

 

 

不知火:「ええ。・・・少なくとも、1日目よりは、ずっと・・・」

 

 

 

阿佐美:「そうか。・・・嬉しいよ」

 

 

 

不知火:「・・・貴方のそんな喜んでる顏、初めて見た」

 

 

 

阿佐美:「お前こそ、嬉しいと聞いて、笑顔になってるぞ」

 

 

 

不知火:「仕方ないでしょ・・・。

     嬉しいって気持ちは、幾ら私でも隠せないわよ・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・麗」

 

 

 

不知火:「名前で、呼んでくれるのね。・・・敬士」

 

 

 

阿佐美:「今だけは、名前で呼ばせてくれ・・・」

 

 

 

不知火:「良いわよ、敬士。

     残りの時間を、思う存分、楽しみましょう・・・」

 

 

 

 

 

 

阿佐美:「・・・そろそろ、お開きの時間か・・・」

 

 

不知火:「ええ。・・・私達も、いい加減、夢から覚める時間ね」

 

 

阿佐美:「夢だと?」

 

 

不知火:「そうよ。一夜限りの夢。・・・恋人ごっこは、今夜だけで終わりよ」

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

不知火:「どうかした?」

 

 

阿佐美:「今夜と言う事は、まだ夜は明けてない。・・・だから続きは、俺の部屋でどうだ?」

 

 

不知火:「今夜の貴方は、随分と積極的ね。一体、何を企んでるのかしら?」

 

 

阿佐美:「それを知りたいなら、部屋に来てくれ。待ってる」

 

 

不知火:「ちょっと、もう少し此処に居ても・・・」

 

 

阿佐美:「悪いな。少し外で、この酔いを醒ましてくる。また後でな・・・」

 

 

 

 

不知火:「・・・何なのよ。・・・一体・・・」

 

 

 

 

 

 

(ホテル屋外、中庭

 ダンスフロアでの、自分の発言に対して葛藤している阿佐美)

 

 

 

阿佐美(M):「くそっ・・・! 俺は一体、何してるんだ・・・。どうして、あんな事をさっき言ったんだ・・・。

        目的を忘れたのか! 俺の目的は・・・! くっ、・・・あの女に、心を奪われてはいけない・・・。

        それなのに、どうして、こんなにも胸が苦しくなる・・・」

 

 

 

 

間     

 

 

 

(阿佐美の部屋をノックする不知火)

 

 

 

阿佐美:「・・・今、開ける・・・」

 

 

 

不知火:「あら? もしかして、早かったかしら?」

 

 

 

阿佐美:「そんな事はない。入ってくれ」

 

 

 

不知火:「・・・それで、一体、どんな話、聞かせてくれるの?」

 

 

 

阿佐美:「そんなに俺の話、聞きたいのか?」

 

 

 

不知火:「今更、焦らさないで。聞きたいに決まっているでしょ?

     貴方に興味があるし、好きな人の事は何でも知りたくなるじゃない・・・」

 

 

 

阿佐美:「探求心が強いんだな。羨ましいよ」

 

 

 

不知火:「どういう事? 貴方も探求心は・・・」

 

 

 

阿佐美:「幼いころから俺は、そんな物、持つ暇なかった・・・。周りの皆が、羨ましかったよ。

     親に、自由に何でも買ってもらって、親にこれでもかと言う程、愛されて・・・。

     俺が親から貰ったのは、ただ一つ。将来への重圧だけだ」

 

 

 

不知火:「そんな・・・」

 

 

 

阿佐美:「親は、俺に同じ道を進めとしか言わなかった。

     その為に、努力するのは当たり前だ。

     お前の頑張りには、私達の印象もかかってるんだ。

     いつもその事だけは、絶対に忘れるな。それが、いつもの口癖だった。

     俺は、その言葉に縛られ、子供時代も、勉強ばかりだった」

 

 

 

不知火:「・・・」

 

 

 

阿佐美:「そんな生活も、数年、数十年と経てば、段々と嫌気が差してくる。

     そんな時だった・・・。」

 

 

 

不知火:「何か、起きたのね?」

 

 

 

 

阿佐美:「あぁ。・・・俺にとって、忘れもしれない出来事がな・・・」

 

 

 

不知火:「どんな事が、起きたの?」

 

 

 

阿佐美:「母親が妊娠したんだ。・・・そして、妹が産まれた。

     俺は、その時、思ったんだ。

     これで何か親も俺に対して、変わるんじゃないかって。

     ・・・でも、そんなのは幻想だった・・・。

     妹には何でも買い与えたり、自由にしてるのに、

     俺に対しては、より一層、厳しい態度を取り始めたんだ・・・」

 

 

 

不知火:「そんな・・・」

 

 

 

阿佐美:「俺は負けるのだけは嫌だったから、ずっと耐え続けた。

     耐えて、耐えて、早くこの家から、出たいと願った。

     そして、高校を卒業して、俺は家を出た。

     どうだ? そんなにたいして、面白くもない人生だろ?」

 

 

 

不知火:「そう・・・、貴方も、苦しみ続けてたのね・・・」

 

 

 

阿佐美:「苦しみしかなかったよ。・・・親の愛情も、俺は知らない・・・。

     ただ、俺がずっと、あの家で頑張れたのは、妹の存在があったからだ。

     俺が親に怒られた時も、妹は俺に優しくしてくれた。

     初めは、機嫌取りだと思い、嫌悪しかなかった。

     でも、そこは血の繋がった兄妹だからか、

     段々と、こんな俺にも、愛情が芽生えてきたんだ」

 

 

 

不知火:「・・・」

 

 

 

阿佐美:「そんな愛情もあって、俺は何とか、親を殴ったりもしないで、良い子を演じれたよ。

     ・・・と、まぁ、俺の話はこんな所だ」

 

 

 

不知火:「話してくれてありがとう。・・・貴方が抱えてる闇が、少し見えた気がする・・・」

 

 

 

阿佐美:「形は違えど、心に闇を持った者同士、惹かれ合ったのかもな・・・」

 

 

 

不知火:「あら、さっきの恋人ごっこの続きかしら?」

 

 

 

阿佐美:「俺は真剣だ・・・。

     今だけは、俺の恋人になってくれないか?」

 

 

 

不知火:「そんなに、私の事、気に入ったの?」

 

 

 

阿佐美:「あぁ、そうだ。・・・俺じゃ駄目か?」

 

 

 

不知火:「・・・そんな目も、出来るのね」

 

 

 

阿佐美:「一体、どんな目だ?」

 

 

 

不知火:「まるで、雨に濡れた子犬のよう・・・。

     そんな目でお願いされたら、断れないじゃない・・・」

 

 

 

阿佐美:「それなら、断らなくて良い・・・。

     このまま、俺の側に、一緒に居てくれ・・・」

 

 

 

不知火:「・・・わかったわ。今夜は私の負けね・・・。

     ・・・このまま、側に居てあげる」

 

 

 

阿佐美:「ありがとう・・・。麗・・・」

 

 

 

 

 

 

(数時間後、目を覚ます不知火)

 

 

 

 

不知火(M):「ん・・・、ううん・・・。もう朝なのね・・・。

        そっか・・・、私・・・、あの後、一緒に抱き合って、眠って・・・」

 

 

 

(横でまだ眠っている阿佐美の顔を見る)

 

 

 

不知火(M):「警戒心もなく、無防備な寝顔・・・。

        ねぇ・・・、昨夜、私に見せた顔は、貴方の本性? ・・・それとも偽り・・・?」

 

 

 

不知火(M):「気付けば、貴方を目で追ってる自分が居る。

        こうして傍に居る今も、貴方に触れていたいと思う自分が居る。

        でも・・・それは出来ない。・・・だって私は・・・」

 

 

 

 

阿佐美:「・・・ん? 起きてたのか・・・」

 

 

 

 

不知火:「少し前にね。・・・私は、そろそろ行くわね」

 

 

 

阿佐美:「もう少し、ゆっくりしていけよ」

 

 

 

不知火:「もう5時よ。そろそろ、誰か起きて来る頃。・・・だから、無理よ」

 

 

 

阿佐美:「なぁ・・・」

 

 

 

不知火:「何かしら?」

 

 

 

阿佐美:「俺の寝顔、ずっと見てただろ?」

 

 

 

不知火:「ええ。随分と無防備な寝顔だった。

     余りに無防備だから、この前されたみたいに、首を絞めてやろうと思ってただけよ」

 

 

 

阿佐美:「締めたいのなら、絞めて良い。いつでも、お前が好きな時に」

 

 

 

不知火:「何、馬鹿な事、言ってるのよ・・・」

 

 

 

阿佐美:「俺は本気だ」

 

 

 

不知火:「死にたいの?」

 

 

 

阿佐美:「お前の手で、死ねるなら、本望だ」

 

 

 

不知火:「冗談はよしてよ・・・」

 

 

 

阿佐美:「どうしたんだ? あの夜は、お前も楽しそうだったじゃないか?

     また、ああやって、俺の首を絞めるだけで良い・・・」

 

 

 

不知火:「もう、いい加減にして・・・!

     本当に、時間がないから、行くわね・・・」

 

 

 

阿佐美:「また、逃げるのか?」

 

 

 

不知火:「逃げたりなんてしないわ。

     ・・・また今夜、楽しみにしてる。じゃあね・・・敬士」

 

 

 

阿佐美:「・・・このタイミングで、名前かよ・・・。全く・・・」

 

 

 

 

 

 

(4日目 朝 フロントロビー前

 早朝、部屋での阿佐美の発言を思い出し、困惑して悩む不知火)

 

 

 

 

不知火:「・・・」

 

 

 

不知火(M):「あの男の真意がわからない・・・。・・・少し、踏み込み過ぎたか・・・。

        ・・・駄目。・・・昨夜の出来事と、今朝の出来事ばかり、考えてしまう・・・。

        どうしてなの・・・」

 

 

 

阿佐美:「フロントマンが、お客様を接客しないで、物思いに耽るなんて感心しないな・・・」

 

 

 

不知火:「阿佐美様、申し訳ございません・・・。何か御用でしょうか?」

 

 

 

阿佐美:「特に要はない・・・。少しお前の顔色が悪かったから、気になっただけだ」

 

 

 

不知火:「御心配をお掛けして、申し訳ございませんでした」

 

 

 

阿佐美:「あまり無理、するな・・・。辛いなら、俺が上司に頼んで・・・」

 

 

 

不知火:「問題御座いません。阿佐美様」

 

 

 

阿佐美:「・・・悪い。少し踏み込み過ぎた・・・」

 

 

 

不知火:「とんでもございません。・・・本日は、如何お過ごしになられますか?」

 

 

 

阿佐美:「これから、少し出かけて来る」

 

 

 

不知火:「それでは、部屋の清掃は、如何なさいますか?」

 

 

 

阿佐美:「言われた通り、清掃の札、かけてあるから、出かけてる間に頼む」

 

 

 

不知火:「かしこまりました。それでは、ルームキーをお預かりします」

 

 

 

阿佐美:「あぁ、頼む」

 

 

 

不知火:「それでは、お気を付けて、行ってらっしゃいませ」

 

 

 

 

 

 

 

(ホテルのロビーを出て駐車場に向かい、車に乗ってから誰かに電話をかける阿佐美)

 

 

 

 

阿佐美:「もしもし・・・。連絡が遅れてすまない・・・。

     ・・・あぁ、わかっている。これから、向かう。

     それと・・・。この先・・・俺に、もしもの事があれば・・・、

     その時は、お前が上手く処理してくれ・・・。・・・すまない。・・・頼んだぞ」

 

 

 

 

 

 

(4日目の夜 フロントロビー

 用事を済ませ、ホテルに戻り、フロントカウンターに、

 ルームキーを取りに来る阿佐美)

 

 

 

 

不知火:「お帰りなさいませ。阿佐美様」

 

 

 

阿佐美:「あぁ。・・・ルームキーを」

 

 

 

不知火:「かしこまりました」

 

 

 

阿佐美:「それともう一つ」

 

 

 

不知火:「はい」

 

 

 

阿佐美:「21時を過ぎてるが、何か軽食は、今からでも頼めるか?」

 

 

 

不知火:「はい、御用意可能で御座います」

 

 

 

阿佐美:「良かった。・・・用事が長引いて、食べれなくて、困ってたんだ・・・」

 

 

 

不知火:「そうで御座いましたか。・・・お待たせしました。ルームキーです」

 

 

 

阿佐美:「ありがとう。・・・それで、何処に行けば良い?」

 

 

 

不知火:「バーラウンジに、お越しくださいませ」

 

 

 

阿佐美:「わかった。・・・部屋で着替えてから、向かうよ」

 

 

 

不知火:「お待ちしております」

 

 

 

 

 

 

 

(ホテル館内 バーラウンジ

 入り口前で、阿佐美を出迎える不知火

 ゆったりとしたJAZZが流れている)

 

 

 

不知火:「阿佐美様、いらっしゃいませ」

 

 

 

阿佐美:「あぁ。今夜も宜しく頼む」

 

 

 

不知火:「かしこまりました。こちらがメニューとなっております」

 

 

 

阿佐美:「どれどれ・・・。へぇ~・・・、この時間にしては、充実してるんだな」

 

 

 

不知火:「ホテル周辺には、コンビニなども御座いませんので、

     その点も配慮して、豊富に御用意しております」

 

 

 

阿佐美:「そいつは助かる。正直、サンドイッチくらいかと、思ってた。

     それじゃあ・・・、このナポリタンを・・・、頼む」

 

 

 

 

不知火:「かしこまりました。・・・少々、お時間を頂きますので、

     その間に、本日のお酒も、御用意させていただきます」

 

 

 

 

阿佐美:「あぁ、頼む」

 

 

 

 

不知火:「阿佐美様、本日は如何で御座いましたか?」

 

 

 

阿佐美:「忙しい一日だったよ・・・」

 

 

 

不知火:「誰かとお会いしてたのですか?」

 

 

 

阿佐美:「いいや、誰ともあって居ない。前にも言っただろ?

     逃走中の身で、会う相手なんて居ないよ。

     このホテルでの滞在も残り2日・・・。

     次の滞在先、考えたり、準備で時間なんてあっと言う間だ・・・」

 

 

 

不知火:「阿佐美様とこうして、お話、出来るのも、残り僅かで御座いますね・・・」

 

 

 

阿佐美:「あぁ。そうだな・・・。・・・もしかして、寂しいのか?」

 

 

 

不知火:「正直、申しますと・・・、その通りで御座います。

     滞在中の間だけの、お客様との出会いとわかっていても、

     いざ、チェックアウトの日を迎えると、寂しさを感じております・・・」

 

 

 

阿佐美:「俺も、正直言うと寂しいよ・・・。お前とこうして、ずっと一緒に・・・」

 

 

 

 

不知火:「お待たせいたしました。・・・カリフォルニアレモネードで御座います」

 

 

 

阿佐美:「・・・ふっ、永遠の感謝か・・・」(小声)

 

 

 

不知火:「何か仰いましたか?」

 

 

 

阿佐美:「何でもない・・・。なぁ、今夜はどうする?」

 

 

 

不知火:「さぁ・・・、それはもう少し夜が更けませんと、お答え出来ません」

 

 

 

阿佐美:「相変わらずの返答、ありがとうよ」

 

 

 

 

 

 

不知火:「お待たせしました。・・・ナポリタンで御座います」

 

 

 

阿佐美:「思ってた以上に、美味しそうだ・・・。どれ・・・。

     ・・・うん、上手い・・・」

 

 

 

不知火:「恐れ入ります」

 

 

 

阿佐美:「すまないが・・・」

 

 

 

不知火:「はい」

 

 

 

阿佐美:「今夜はこの後、一人で過ごす。・・・流石に少し、疲れが出てきたみたいだ・・・」

 

 

 

不知火:「かしこまりました。それでは、私もこれで・・・」

 

 

 

阿佐美:「あぁ。お前も、今夜はゆっくり休んでくれ。・・・また明日な」

 

 

 

 

不知火:「ありがとうございます・・・。お休みなさいませ、阿佐美様」

 

 

 

 

 

 

 

(フロントに戻る不知火。その姿を見つめ続ける阿佐美)

 

 

 

 

阿佐美(M):「・・・心の底では、違うと思いたい自分も居た。

        だが、そんな気持ちでさえ、お前は、この一杯のお酒で、粉々に砕くとはな・・・。

        残り、2日か・・・」

 

 

 

 

(5日目の朝 フロントロビー

 いつものように、阿佐美に声をかける不知火)

 

 

 

 

不知火:「おはようございます。阿佐美様。

     昨夜は、ゆっくりお休みになられましたでしょうか?」

 

 

 

 

阿佐美:「あぁ。お陰様で、ゆっくり眠れたよ。

     ・・・そう言うお前も、すっかり顔色、良くなった見たいだな」

 

 

 

 

不知火:「阿佐美様のご配慮のお陰で御座います。

     ・・・本日の御朝食ですが、洋食以外にも、和食も御用意が出来ますが、如何致しますか?」

 

 

 

阿佐美:「今日は和食で頼む」

 

 

 

不知火:「かしこまりました。少々、お待ちくださいませ」

 

 

 

阿佐美:「あぁ」

 

 

 

 

 

 

不知火:「お待たせ致しました。

     この後、7時半からのお席と、8時からのお席と、御用意可能ですが・・・」

 

 

 

阿佐美:「それなら、少し散歩して来たいから、8時で頼む」

 

 

 

 

不知火:「かしこまりました。・・・和食の朝食会場は、2階となっております」

 

 

 

阿佐美:「わかった。それと・・・今夜だが・・・」

 

 

 

不知火:「はい」

 

 

 

阿佐美:「いつものお酒は、部屋で用意してもらう事も可能か?」

 

 

 

不知火:「・・・可能で御座います。・・・何時ごろが宜しいでしょうか?」

 

 

 

阿佐美:「それなら、23時で頼む」

 

 

 

不知火:「かしこまりました」

 

 

 

阿佐美:「宜しく頼むよ。じゃあ、また今夜・・・」

 

 

 

 

 

 

不知火(N):「残り2日・・・。何か仕掛けてくると思っていたけど、

        いざ、その時を迎えると・・・、どうしてこんなに、怖いのだろう・・・。

        でも、逃げるわけにはいかない・・・。・・・逃げ続けていても、結末はきっと変わらない・・・」

 

 

 

 

 

(5日目の夜 

 部屋で、不知火を待っている阿佐美

 深刻な顏をしている)

 

 

 

阿佐美(M):「そろそろ時間か・・・」

 

 

 

(部屋をノックする不知火)

 

 

 

阿佐美:「はい」

 

 

 

不知火:「阿佐美様、ルームサービスで御座います」

 

 

 

阿佐美:「待ってくれ。今、開ける・・・」

 

 

 

不知火:「・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・中に入ってくれ」

 

 

 

不知火:「・・・かしこまりました」

 

 

 

 

 

 

阿佐美:「・・・もしかして、その様子だと、まだ仕事の延長戦か?」

 

 

 

不知火:「・・・違います」

 

 

 

阿佐美:「そうか。・・・なら、敬語は止めてくれ」

 

 

 

不知火:「・・・わかったわ。・・・ねぇ、早速で悪いけど、お酒作っても良いかしら?」

 

 

 

阿佐美:「構わないよ。・・・そこのカウンターで頼む」

 

 

 

不知火:「・・・この部屋のカウンター、使うの初めてよ・・・」

 

 

 

阿佐美:「お客様に頼まれて、部屋に作りに行ったりしないのか?」

 

 

 

不知火:「そんな事、頼むのは貴方くらいよ。他のお客様は、バーラウンジで、飲まれるし・・・」

 

 

 

阿佐美:「これだけ立派なカウンターあるのに、勿体ない話だ・・・」

 

 

 

不知火:「・・・それもそうね。・・・お待たせ・・・。

     ・・・ブルームーンよ。・・・どうぞ、召し上がれ・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

 

不知火:「どうかした?」

 

 

 

阿佐美:「何でもない・・・」

 

 

 

不知火:「嘘が下手ね・・・。

     ・・・このお酒のカクテル言葉は・・・」

 

 

 

阿佐美:「それ以上、先は言うな・・・」

 

 

 

不知火:「叶わぬ恋・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

 

不知火:「・・・貴方との出会いは、夢のようだった。・・・でも、そんな時間も、お終いにしましょう。

     そろそろ現実に戻る時間よ・・・」

 

 

 

阿佐美:「叶わぬ恋だけじゃない・・・」

 

 

 

不知火:「え・・・?」

 

 

 

阿佐美:「このお酒のカクテル言葉は、もう一つある・・・」

 

 

 

不知火:「・・・」

 

 

 

阿佐美:「もう一つのカクテル言葉は・・・、正反対の意味で、完全なる愛だ・・・。

     さっきの言葉は、お前の本心なのか?」

 

 

 

不知火:「ええ、本心よ」

 

 

 

阿佐美:「だったら、どうして今夜、このカクテルを作ったんだ?

     本当は、このまま終わりにしたくないからだろ!?」

 

 

 

不知火:「そんなのは、貴方の勘違いに過ぎない・・・。

     今夜は、そのカクテルを作りに来ただけだから、もう失礼するわ・・・」

 

 

 

阿佐美:「そうやって、いつも逃げるのか・・・」

 

 

 

不知火:「どう思われても結構よ・・・」

 

 

 

阿佐美:「待ってくれ・・・」

 

 

 

不知火:「まだ何かあるの・・・?」

 

 

 

阿佐美:「・・・明日の夜、もう一度、この部屋に来て、お酒を作ってくれ」

 

 

 

不知火:「・・・わかったわ。・・・おやすみなさい・・・」

 

 

 

 

 

 

(6日目の朝 ホテル中庭

 中庭に置いてある石碑を見て、溜息をつき、何か考え込んでる阿佐美)

 

 

 

 

阿佐美:「・・・(溜息)」

 

 

 

不知火:「おはようございます。阿佐美様。此処に居らっしゃったのですね」

 

 

 

阿佐美:「・・・この中庭も、綺麗だな・・・」

 

 

 

不知火:「恐れ入ります」

 

 

 

阿佐美:「それに、この石碑も、立派だ・・・」

 

 

 

不知火:「こちらには、オーナーの気持ちも込められており、

     今では、このホテルのシンボルにもなっている大事な石碑で御座います」

 

 

 

阿佐美:「匪石之心・・・」

 

 

 

不知火:「石碑に刻まれている四字熟語は、オーナーの決意の表れもあるそうです」

 

 

 

阿佐美:「決意か・・・」

 

 

 

不知火:「どうかなされましたか?」

 

 

 

阿佐美:「何でもない。・・・滞在、最後の日に、こんな素晴らしい石碑を見れて、感謝するよ」

 

 

 

不知火:「阿佐美様に喜んでいただけて、何よりで御座います。

     ・・・それでは、私はこれで・・・」

 

 

 

阿佐美:「あぁ・・・。また今夜な・・・」

 

 

 

不知火:「・・・」

 

 

 

 

 

 

阿佐美:「・・・【匪石之心】

     ・・・自分の信念を堅く守り抜き・・・、決して揺らぐことのない心・・・。

     ・・・まさか、最後の日に、気付かされるなんてな・・・。

     これも、俺達の運命だって言うのか・・・。

     だとしたら、俺は・・・、もう迷うわけには、いかない・・・。

     なぁ、そうだろ・・・?」

 

 

 

 

(6日目の夜)

 

 

 

不知火(M):「・・・もう後には、戻れない・・・。

        ・・・何が起きても、もう後悔なんてしない・・・」

 

 

 

(覚悟を決めて、部屋のドアをノックする不知火)

 

 

 

 

阿佐美:「待ってくれ。今、部屋を開ける・・・。

     ・・・待たせたな・・・。中に入ってくれ・・・」

 

 

 

不知火:「今日が・・・最後の夜ね・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・そうだな。・・・無駄話をしてるのも、勿体ないから、

     最後のお酒、作ってくれないか?」

 

 

 

不知火:「言われなくても、そうするわ」

 

 

 

阿佐美:「あぁ、頼む」

 

 

 

不知火:「・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・」

 

 

 

不知火:「・・・お待たせ致しました。

     ・・・最後のお酒、・・・ギムレットで御座います・・・」

 

 

 

 

阿佐美:「・・・(深いため息)」

 

 

 

不知火:「・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・やはり、そうだったのか・・・」

 

 

 

不知火:「・・・」

 

 

 

阿佐美:「お前に段々と惹かれて行く内に・・・、

     心の何処かで、そうじゃないと・・・、別人だと・・・、信じたい自分も居た・・・。

     だが、これまでのお酒と、昨日のお酒・・・、そして今夜のお酒・・・で、

     その望みは、消えたよ・・・」

 

 

 

不知火:「・・・いつから気付いてたの?」

 

 

 

阿佐美:「このホテルに泊まる前から、気付いてた・・・」

 

 

 

不知火:「どういう事?」

 

 

 

阿佐美:「先に謝っておく。すまない・・・。

     ・・・俺は、逃亡生活なんてしてない・・・。あれは真っ赤な嘘だ」

 

 

 

不知火:「そう・・・。・・・だとしたら・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・俺は・・・、刑事だ。

     お前の事は、独自に捜査して、此処に来たんだ」

 

 

 

不知火:「・・・じゃあ、今まで話してくれた身の上話は・・・」

 

 

 

阿佐美:「お前と言う人間を、より深く知るために、

     嘘と、真実を混ぜて、作り上げた内容だ」

 

 

 

不知火:「・・・完全に騙されたわ。・・・立派な詐欺師ね・・・、貴方」

 

 

 

阿佐美:「それは、お互い様だ」

 

 

 

不知火:「それもそうね・・・。

     ・・・だとしたら、・・・あの夜のナポリタンも・・・」

 

 

 

阿佐美:「あぁ・・・。お前の反応を、試させてもらった・・・」

 

 

 

不知火:「(溜息)・・・そういえば、彼の好物だった・・・。

     ・・・いつも私の前で、満面の笑顔で、美味しいと言いながら、食べてたわ・・・。

     ・・・そう。貴方は・・・、私を逮捕する為に、このホテルにやってきたのね・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・その様子だと、犯行を認めるんだな・・・」

 

 

 

不知火:「・・・ええ。・・・此処まで来たら、・・・もう、隠し通せないもの・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・どうして、殺したりしたんだ・・・?」

 

 

 

不知火:「仕方なかったのよ・・・。

     彼は私に結婚してくれと、あの後も、毎日、毎日、懇願し続け、

     別れてくれる気すら、なかった・・・。

     そんな彼の行動に、私は日に日に追い込まれ・・・、

     耐え切れなくなって、彼を呼び出し、殺す事にしたのよ・・・」

 

 

 

阿佐美:「そして、男の遺体は、あの湖に重しを付けて、沈めた・・・」

 

 

 

不知火:「どうやって、わかったのかしら?」

 

 

 

阿佐美:「お前の湖での言葉と、あの行動でわかったよ。

     ・・・だから4日目の朝、あの湖を調べた結果・・・、

     男の白骨化した遺体を、発見した・・・」

 

 

 

不知火:「そう・・・」

 

 

 

阿佐美:「今までのお酒だが・・・、最初の2日目は、スティンガー。カクテル言葉は、危険な香り・・・。

     この時に、俺の事、怪しいと思ってたんだな・・・」

 

 

 

不知火:「ええ、その通りよ」

 

 

 

阿佐美:「・・・3日目の夜は、ジンバック。カクテル言葉は、正しき心」

     

 

 

不知火:「・・・」

 

 

 

阿佐美:「4日目の夜は、カリフォルニアレモネード。カクテル言葉は、永遠の感謝。

     ・・・私を見つけてくれて、感謝とはな・・・」

 

 

 

不知火:「・・・ずっと恐怖と戦ってたから、それでよ・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・5日目の夜は、ブルームーン。カクテル言葉は、叶わぬ恋。そして、完全なる愛。

     ・・・これはどっちに対してだ? 俺にか、それとも・・・?」

 

 

 

不知火:「・・・」

 

 

 

阿佐美:「そして、今夜・・・、6日目のお酒は、ギムレット。カクテル言葉は・・・」

 

 

 

不知火:「遠い人を想う・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・そこまで、想っていて、どうして・・・」

 

 

 

不知火:「・・・」

 

 

 

阿佐美:「どうして・・・、俺の弟、阿佐美 征一を・・・、殺したんだ・・・!」

 

 

 

不知火:「・・・耐えきれなかったからよ・・・!」

 

 

 

阿佐美:「そんなの答えになってない・・・!」

 

 

 

不知火:「・・・征一の事、本当に愛してた・・・。

     でも、結婚出来ないとわかってからの、彼は怖かったの・・・。

     別人みたいに豹変して、・・・あのままだと、私が殺されてた・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・殺す以外の方法だって、あっただろ? 

     あいつは、お前との生活を夢見て、会う度にその事ばかり話して、

     結婚式には、必ず呼ぶよって、嬉しいそうに笑ってたんだ・・・」

 

 

 

不知火:「・・・殺すしか、方法がなかったわ・・・。

     それしか、私の生きる道は・・・、なかった・・・!」

 

 

 

阿佐美:「・・・うるさい! 黙れ!」(不知火の首に手をかける)

 

 

 

不知火:「ぐっ・・・」

 

 

 

阿佐美:「今すぐ・・・殺してやる・・・」

 

 

 

不知火:「・・・刑事が殺人なんて、起こして・・・、良いのかしら・・・?」

 

 

 

阿佐美:「心配するな・・・。・・・あの湖で、征一を見つけた後、辞表を出した・・・。

     だから、今の俺は、ただの一般人だ・・・」

 

 

 

不知火:「そう・・・。

     ・・・そこまでして、私を殺したかったのね。

     ・・・良いわよ。・・・殺しなさい・・・」

 

 

 

阿佐美:「言われなくても、そうする・・・!」

 

 

 

不知火:「・・・。・・・ベッドに押し倒すなんて、大胆・・・。・・・さぁ、早く、殺して・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・くそっ!」(強く首を絞める)

 

 

 

不知火:「・・・そうよ。・・・その調子。・・・もっと力、入れて見なさいよ・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・いい加減、黙りやが・・・れ!」

 

 

 

不知火:「・・・良いわ。・・・そのまま。・・・絞め続けて・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・くっ! 黙れえええええええ!」

 

 

 

不知火:「・・・ぐっ・・・。これで、やっと私も向こうに・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・」(思わず力を緩める)

 

 

 

不知火:「・・・どうしたの? ・・・力を緩めないで。・・・絞め続けて・・・」

 

 

 

阿佐美:「どうして・・・、出来ないんだ・・・。後少しなのに・・・。どうして・・・!

     俺は、征一の為に、この復讐を終わらせなければならないんだ・・・!

     なのに・・・どうして・・・!」

 

 

 

不知火:「・・・敬士・・・」

 

 

 

阿佐美:「今、名前で呼ぶな・・・!」

 

 

 

不知火:「・・・敬士」

 

 

 

阿佐美:「うるさい! 黙れ・・・!」

 

 

 

不知火:「・・・もう良いのよ・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・俺は、征一の為に・・・! 

     ・・・征一の為に、お前を殺さないと・・・!!!」

 

 

 

不知火:「もう、良いわ! これ以上、無理しないで・・・! 敬士・・・!」

 

 

 

阿佐美:「畜生・・・。・・・どうして、俺は・・・、お前を愛してしまったんだ・・・。

     愛してなければ・・・、あのまま・・・」

 

 

 

不知火:「・・・」

 

 

 

阿佐美:「お前を殺して・・・、その後・・・、俺も死ぬ事が出来たんだ・・・。

     お前とさえ、出会わなければ・・・」

 

 

 

不知火:「私は、貴方に出会えて良かった・・・。

     ・・・出会えたからこそ、人生の最後に、愛という感情を感じることが出来たの・・・。

     だから、感謝してるわ・・・」

 

 

 

阿佐美:「麗・・・」

 

 

 

不知火:「お願い・・・。・・・最後にもう一度、私を抱いて。

     ・・・朝日が昇る・・・、その時まで・・・」

 

 

 

 

阿佐美:「その後は、どうするんだ・・・?」

 

 

 

不知火:「・・・その後は、貴方に任せるわ・・・」

 

 

 

阿佐美:「わかった・・・。望み通り、最後に抱いてやる・・・」

 

 

 

不知火:「・・・ありがとう。・・・敬士」

 

 

 

 

 

 

(7日目の朝)

 

 

 

 

不知火(N):「私達は、朝日が昇るまで、何度も、何度も、お互いを求め続けた・・・。

        求め続け・・・、そして・・・、私達は、ある決断をした・・・」

 

 

 

 

 

 

不知火:「・・・準備は、終わったわ・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・本当に、良いのか・・・?」

 

 

 

不知火:「ええ。貴方の方こそ、後悔はしない・・・?」

 

 

 

阿佐美:「・・・後悔なんて・・・、し尽くした。いい加減、疲れたよ・・・。

     それに・・・もう、迷わないと、決めたんだ・・・。

     征一の為にも、・・・お前を殺さなければ、ならない・・・」

 

 

 

不知火:「そう・・・。・・・それじゃあ、始めるわよ」(阿佐美の首を絞める)

 

 

 

阿佐美:「あぁ・・・。ん・・・!」

 

 

 

不知火:「・・・苦しい・・・?」

 

 

 

阿佐美:「あぁ・・・。でも・・・、最高だ・・・」

 

 

 

不知火:「・・・そう。・・・なら、私にも早く・・・」

 

 

 

阿佐美:「わかってる・・・」(不知火の首を絞める)

 

 

 

不知火:「・・・ん。・・・貴方の体温、感じるわ・・・。気持ちいい・・・」

 

 

 

阿佐美:「お前だけ、気持ちよくなるな・・・。・・・俺も、もっとお前を感じたい・・・」

 

 

 

不知火:「・・・嬉しい。・・・もっと私を感じて・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・あぁ・・・。良いぞ・・・。その調子だ。・・・お前を強く感じる・・・」

 

 

 

不知火:「・・・嬉しい。・・・愛しているわ・・・。敬士」

 

 

 

阿佐美:「・・・俺も愛している。・・・麗」

 

 

 

不知火:「・・・私、そろそろ・・・、限界みたい・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・なら、一緒に行こう・・・」

 

 

 

不知火:「・・・貴方となら、この先、地獄でも構わないわ・・・」

 

 

 

阿佐美:「・・・一緒に堕ちて行こう。・・・何処までも・・・。

     ずっと、これから一緒だ・・・。・・・麗」

 

 

 

不知火:「嬉しい・・・わ。・・・敬士・・・」

 

 

 

 

 

(お互いの首を絞めて、愛を交わしながら、息を引き取る二人)

 

 

(部屋のテーブルには、ホテル宛ての一通の手紙が置いてある)

 

 

 

 

 

 

不知火:「ホテル関係者、皆様へ。

     まずは・・・このような行動を起こし、ご迷惑をかける事を、深く謝罪致します・・・。

     私は・・・、殺人を行い、このホテルの側にある湖に、死体を隠しました。

     詳細は、2枚目の手紙を読んでいただけると、わかります・・・。

     どうか、後の事は、宜しくお願い致します・・・。不知火 麗」

 

 

 

 

 

 

  

 

不知火(N):「愛というのは厄介だ。いつの間にか、心の中で燃え広がり、体を侵食していく。

        それは・・・、まるで・・・、地獄の業火のように、身も心も焦がし続け、

        時には、思いもよらない行動にすら、自らを突き動かしていく・・・。

        そんな厄介なものなんて、一生要らないと、思っていた・・・。

        そう・・・、こうして貴方と、出会う・・・までは・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

終わり